<金曜は本の紹介>
この本は、戦艦大和乗組員であった八杉康夫氏の生い立ちから、大和乗艦、大和の撃沈、生還、ヒロシマでの原爆の体験、終戦、大和探しなどについて、書かれたものです。
八杉康夫氏は昭和18年初めの15歳で海軍を志願し、昭和18年8月10日に大竹海兵団へ入団し、砲術学校で抜群の才能を発揮し、抜擢されて昭和20年1月12日に大和艦橋トップの測距儀を担当し、大和の最期を目の当たりした貴重な生き残りの1人で、3009名を乗せた大和で奇跡的に救助された276人のうちの1人です。
巨艦が沈没するときは、渦に巻き込まれて普通は助かりませんが、大和が大爆発し奇跡的に海面に押し上げられて助かったようです。
この本は、当時の状況など非常に分かる本で、かなり興味深い本でした。お勧めです!
なお、大和誕生の地である広島県呉市に「大和ミュージーアム」http://yamato.kure-city.jp/がオープンし、大和10分の1の精密模型に人気があるようです。
また、東映が公開した「男たちの大和/YAMATO」の尾道市向島の日立造船所跡に造られた、実寸大の「大和オープンセット」http://www.ononavi.jp/fan/yamato.htmlは現在一般に公開され(2006.5.7まで)人気を呼んでいるようです。私も行って見たいと思っています。
以下は、私なりのこの本のポイントです。長文ですみません。
・志願兵にも試験があり、国語、歴史、数学、身体能力、鉄棒にぶら下がったり、走ったり、片手でロープに20秒以上ぶら下がるというのもあり、その試験結果から通常は甲乙丙に分けられるが、めったにない「甲上」の判をもらう。
・海軍では「罰直」といって、「精神注入棒」などと書かれたバットを少し細くしたような木の棒で尻をしたたかに殴る制裁があった。
・海軍の「総員起こし」は15分前から始まり、次が「総員起こし5分前」そして「起床ラッパ」で起きなければならない。目が覚めたからといって先に起きたら駄目とのこと。
・大和には3連装が3つの計9門の口径46cm長さ21mの主砲があるが、並んだ3門を一斉に撃つと、弾同士の空気圧で、弾道がずれてしまうため、0.3秒ほどずらして撃つ
・戦闘配置は艦橋のてっぺんで、海面からは30m以上、甲板からも24m以上。
・大和の艦内は防水区画などで細かく区切られていて迷路のため、最初の1週間は「新乗艦者」という腕章を腕に巻く。「艦内旅行」という試験があるが、筆者は1時間半で帰ってこれたが、半日経っても戻ってこない新乗艦者が2名いて、艦内スピーカーから「何某が行方不明、総員手分けして捜索せよ」という号令があってようやく見つかった。
・大和の測距儀は日本光学(現ニコン)が命をかけて作ったもので、直径60cm、長さ15mもあり、その中にはレンズが多数組み込まれていて5万mまで測定でき、4千から5万まで目盛がある。飛行機は5万mに近づく前に見つけられる。最初は「現在、測距不能」となるが5万m以内に寄ってくると「測的開始、測距始めえ」となる。
・大和の食事は素晴らしかった。なぜか肉じゃがが多かった。金曜はカレーライスで人気があった。鯖の煮付けも美味しかった。
・大和の風呂には上等兵は自由に入れた。2つの浴槽があり、1つは海水、1つは真水の湯だった。「洗面器3杯」の真水制限があった。
・大和乗艦は秘密で、自分から電話をかけてはいけない。軍の盗聴もあった。
・上陸の際は、「衛生サック」というコンドームを渡される。性病の蔓延を防ぐため。ネイビーブルーの袋に桜と錨の模様で「突撃一番」と書かれていた。
・昭和20年4月2日か3日ごろ「艦内の可燃物、すべて、陸揚げせよ」との命令があり、イス、机から燃えるものはすべて「団平船」という船に積み込む。従って、博物館などで大和の司令長官のイスなどが残っている。
・4月5日は最後の酒盛りの「酒保開け」がある。夕飯は午後5時に終わり、宴は午後9時まで続く。ワイン、チーズ、饅頭が出てくる。日本酒は広島のもので「賀茂鶴」「千福」「酔心」だった。
・4月5日には3月末に兵学校を卒業したばかりの候補生44名と経理学校の主計候補生2名が足手まといとなるため、横付けされた駆逐艦「花月」に降ろされる。
・4月6日には最後の郵便物、肉親への遺書作成があり正午が締め切りだった。郵便運搬船が運ぶ。
・沖縄特攻について「大和は片道燃料だった」と言われるが、たしかに命令書は片道とあったが、立ち会った機関科の兵曹の話では、燃料を徳山で入れて4300tあったようで、16~17ノットで大体沖縄を充分に一往復できる燃料があったとのこと。
・運命の4月7日は全天が雲に覆われ、雲高千m、雲量10だった。朝7時ごろゼロ戦約20機が艦橋の周囲を回り、バンクで挨拶し、パイロットは手を振ってくれる。その1時間後には敵のグラマン数機が現れ、大和と同じ方向に飛ぶ。9時45分ごろゼロ戦が戻ってくる。その10分後に敵偵察機のマーチン大艇が現れる。
・10時ごろ「戦闘配食、急げ」と声がかかる。主計兵が大量のごま塩の握り飯を作る。大和には相撲部があり、相撲部員用は大きい握り飯だった。
・曇りのため敵機は雲の上から現れるため主砲はまったく使えず、最初に使われた大和の武器は25mmの機銃だった。最後に使うはずだった武器がいきなりの接近戦でダダダッと火を噴いた。すぐに護耳器をつける。耳栓のようなものだが、人の声は聞こえるすぐれもの。
・およそ200機と言われる敵機の第1波は4月7日の12時40分ごろだったが、襲われて5分もしないうちに後部艦橋へ爆弾2発が落ちる。250kg爆弾と言われたが、筆者はその破壊力から500kg爆弾と推測する。そこにあった副砲は油圧装置が故障して動かなくなり、後部13号電探室にいた電測兵は肉片ひとつ残らずに吹っ飛び、通信も駄目になり、僚艦の駆逐艦「初霜」が大和の通信艦となる。
・大和に魚雷が命中すると測距儀が激しく揺れ動く。爆弾と違って艦全体が盛り上がる感じになる。
・第1波が去ったあとに、上から甲板を見ると地獄で、応急員がホースで甲板の血を流していた。負傷者や死体を衛生兵が走り回って運んでいたが、ちぎれた腕や足はぼんぼん海へ投げ捨てていた。
・第1波が去ったあと、10分ぐらいで第2波がきた。午後1時半ごろで約150機。雷撃機が多く、大和は左舷に3本の魚雷を受けてしまう。
・第2波が去ったあと小便に行きたくなる。第3波の空襲が始まり、魚雷があたる振動が起きるが震度5ぐらいの感じで、9発当たったように感じる。実際は左舷に9発、右舷に1発。ついに大和は左へ25度も傾くが、「傾斜復元を急げ」という声がすると大和は反対側に海水を入れて元に戻る。
・午後1時50分ごろ「軍医官は総員戦死した。負傷者を救護所へは運ぶな。その場で処置せよ」という放送がある。
・そこへ第4波の空襲があり、その時には傾斜角は40度にもなり、喫水線もどんどん下がり、もう戻らなかった。
・沈没の最中、筆者は恩人の日本刀による割腹の場面を見てしまう。
・大和が傾いていくときの鋼鉄のきしむ音はウォーン、ウォーンという音に近い。ギーッというような感じではない。まるで遠くでエコーが響くようなファンタジックともいえる音で不気味な音だった。
・ほどなく大和は90度まで傾き、筆者は必死で海へ飛び込む。海面上38mの高さだった艦橋の頂上が海水面から1mくらいになっていた。しかしすぐに巨大な渦に巻き込まれ、他の兵隊が左肩にばーんとぶつかって、何十メートルの深さまで沈んだかわからない。水圧のせいで胸に焼け火箸をつっこまれて引っ掻き回されるような痛さだった。「もう終わりだ」と観念したとき、深い群青色の海に突然ぶわーっとオレンジ色の強い閃光が走り、その後意識を失う。
・大和大爆発の原因は、主砲弾の爆発かと言われていたが、沈没から40年後に坊ノ岬沖東シナ海の海底に大和が発見されたとき、主砲弾はそのまま海底にごろごろあったことから、砲弾を撃ち出すための膨大な量の火薬類に引火したのが真相の模様。
・海中深くから爆発のために偶然にも海面に押し上げられた筆者は、ぽっかりと浮き上がり、同時に意識が戻る。そこは重油に覆われた海だった。空一面にはアルミ箔をちぎったようなものが、きらきらと輝いていたが、それはアルミ箔ではなく大和の鋼鉄の破片で、泳いでいた多くの兵が目の前でその鉄片に当たり声もなく沈んで行った。鉄片で頭を割かれて一瞬で顔が真っ二つになったり、両足を切断されたり手首を落とされおぼれていく人もいた。筆者も右足に当たり、立ち泳ぎで泳いでいるのにどうしても体が斜めになってしまう。当たったあたりを触るが感覚がなかった。周囲には火薬庫の断熱材に使われていたコルクの破片がいっぱい浮いていた。
・まだ4月はじめなので、寒さで体が震えだしてきて、そして震えも止まり、今度は激しい睡魔が襲ってきた。1期後輩の少年が丸太を枕のようにして顔を海水面すれすれにして眠っていたが、上官が気付いて顔をびんたで張り飛ばして起こし、そのたびに少年はぱっと目を開けて「申し訳ありません」と答えるがすぐに眠ってしまう。少年は丸太に頬を擦り付けるようにして静かに海中に消えていった。
・上半身を10度前に倒してズボンの中へ小便すると、温くなり生き返った気がした。
・ちょうどその時、駆逐艦の「雪風」と「冬月」が救助に来る。待ちきれずに服を着たままクロールで2人泳ぎ出すが、消耗が激しすぎるため、2人とも半分もいかないうちに海面から消えてしまう。
・駆逐艦からは縄梯子やロープが下ろされるが、地獄の争いとなり、引きずり落とされて二度と浮かばない人もいた。筆者は恐怖感を覚え一人で「雪風」の後部の方へ泳ぎだす。そのとき浮き輪つきのロープが投げられ、必死に体を通すと、運悪く1機の敵飛行機が現れ、「雪風」は70km/hの全速力で逃げ出し、飛び魚のようにジャンプしてしまう。「今度こそ、もう駄目だ」と思うが敵機は去り、艦が止まってくれて最後に助けられる。救助された兵は安心して死んでしまうことがあるので、殴って気合を入れられる。「貴様あー、良かったなあ、よかったなあー」と、ぼろぼろ涙を流しながら筆者を殴り続けてくれる。
・タオルで顔を拭いてくれ、毛布をもらい、「赤玉ポートワイン」をもらうがそれは罠で、ゲーゲー吐いてしまうが重油やコルクがいっぱい出てくる。残ったワインで口をゆすぐ。吐き終わったあと、新しいふんどしをもらい、消化できるよう柔らかい握り飯をもらう。助けてくれた命の恩人の名前を聞くが、安堵感からか記憶を吹き飛ばしてしまう。戦後も調べるが恩人は未だに分からない。
・「雪風」は帰路に航行不能となった「礒風」に魚雷を命中させて沈める。「冬月」は「霞」を同じように沈める。米軍に捕獲されて機密が漏れるのを防ぐため。
・敵の潜水艦の魚雷が、「雪風」の帰り際に発射されるが、旋回して魚雷をかわす。
・4月8日午前10時前ごろ、佐世保へ帰る。
<目次>
第1章 音楽好きの軍国少年
武士の商法で豆腐屋さん
早かった舞台経験
「もらい子」だった父
配属将校と気が合わず中学退学
第2章 海軍志願兵
「甲上」で合格
「天皇のために死ぬ」に疑問
二十四分隊へ
横須賀で聞いた「特殊爆弾」
第3章 大和乗艦
お前の行き先は「大和じゃ」
ついに大和乗艦
お守り袋の日記
第4章 永訣の朝
母に最敬礼
天一号作戦発令
草鹿参謀長の一言
力むなよ、力まなければ勝てるぞ
発射されなかった敵の魚雷
片道燃料説は嘘
第5章 女神微笑まず
レンズを真っ黒にした大群
後部艦橋全滅
「奄美大島にもいけんぞ」
「逃げる気か」と喉元へ日本刀
眼前での割腹自殺
第6章 撃沈、4時間の漂流
大和撃沈、そして大爆発
降ってきた「アルミ箔」
丸太を流してくれた高射長
睡魔に負けた少年兵
第7章 重油の海からの生還
繰り広げられた醜態
嬉しかった殴打
満開の桜に男泣き
祖母の予言
殴りつけた割り込み男
第8章 本土決戦隊へ
第二十三陸船隊へ
自爆部隊の絶望的訓練
第9章 ヒロシマの閃光
朝礼で見た白い光
足を掴んだ少年
第10章 呉警備隊で聞いた玉音放送
原隊復帰
「我、敗戦に考フ」
「原爆は神の再来です」
遺族には言えなかった
第11章 再生のきっかけ
素人のど自慢
保本少尉の妻
神戸で調律師修行
原爆の後遺症が
第12章 大和探し
豊かさへの疑問
名著にあった「徳之島沖」
むなしかった慰霊祭
NHKとの合同調査
浮き上がった頭蓋骨
辺見じゅんさん、角川春樹さん
第13章 真相を求めて
川崎高射長の娘と妻
「漂流者の手首を切り捨てた」
吉田満氏に問いただす
ありえない「新生日本」
水交会員も憤激
海水注入による犠牲は事実
第14章 語り部として
大鑑巨砲主義はなぜ
一発も撃てなかった主砲
「生きろ、生き抜くんだ」
戦争責任について
大和の語り部として
あとがき
付録 戦艦大和小史
<今日の独り言>
町田にあるグランベリーモールというところへ行ってきました。アウトレットや映画館や飲食店などがたくさんあり、どれもきれいなお店で驚きました。夕方行ったので、今度はじっくり午前中から攻めたいと思います。
すばらしいドラマですね。八杉さんの体験を映像化…
すばらしいドラマですね。八杉さんの体験を映像化したらさらに素晴らしいことでしょうね。
「通りすがりのもの」さんコメントありがとうござ…
「通りすがりのもの」さんコメントありがとうございます!
もし映像化できれば戦争の悲惨さを訴えるものができるかと思います。