<金曜は本の紹介>
「信長は謀略で殺されたのか(鈴木眞哉・藤本正行)」の購入はコチラ
本能寺の変は、天正10年(1582年)6月2日(新暦7月1日)未明に京都の本能寺で起き、織田信長は部下であった明智光秀の軍に殺されます。
かつては、光秀の単独犯行として誰も疑わなかった<信長殺し>ですが、戦後になると異説が現れ、光秀とは別に真犯人がいたとか、光秀を陰で操って本能寺の変を起こした者がいたという謀略説がでてきます。
本書では、第一章で良質史料に基づく「信長の最期」の実際を描き、第二章では謀叛の成否を分けた光秀の「機密保持」について述べ、第三章では事件前後の光秀の動向について述べ、第四章では本能寺の変がなぜ起きたのかについて述べています。
光秀の謀叛が成功したのは、信長が少人数で本能寺に泊り、また光秀が疑われることなく大軍を集め、襲撃の場所まで動かせるという好条件が重なったためであり、早い時点からあらかじめ誰かが謀略をめぐらす余地などはなかったし、黒幕が関わる機会などなかったとのことです。
第五章からは、以下の目次のように様々な謀略説について具体的に検討し、検証しています。
この本は、真実を追い求める戦国時代好きな方には、お勧めな本です。
私は、今まで朝廷が黒幕だったのではないかと思っていましたが、本書を読むと光秀の単独犯行なんだなあと思ってしまいました。
真実を追い求めるという意味では、以前紹介した「信長の戦争―『信長公記』に見る戦国軍事学」もお勧めです!!
また、「戦国の山城をゆく -信長や秀吉に滅ぼされた世界 (安部龍太郎)」や「信長の棺(加藤廣)」や覇王の夢(津本陽)や「虎の城(上・下)(火坂雅志)」も紹介していますので、良かったら読んでみてください。
<目次>
まえがき
【プロローグ】「謀略説」はなぜ流行するのか?
第一部 本能寺の変は「謀略事件」だったのか?
第一章 良質史料で描く「信長の最期」
信長の最期のイメージ/戦いの舞台/「是非に及ばず」/小姓たちの奮戦/信長の最期/本能寺襲撃者の体験記/本能寺に乗り込む/半裸男の背中を一太刀/「本城惣右衛門覚書」の面白さ/宣教師の報告/二条御所の襲撃/討死した人々
第二章 謀叛の成否を分けた光秀の「機密保持」
謀叛の成否の鍵/謀叛を打ち明ける光秀/起請文を取る/京都へ向かう口実/亀山から本能寺へ/今日からは天下様
第三章 事件前後の光秀の動向
主役二人で成立するドラマ/あめが下知る/信長上洛す/光秀の最も長い一日/光秀の十一日天下/細川藤孝への切実な手紙/秀吉の「中国大返し」/信長を生き返らせた秀吉
第四章 本能寺の変はなぜ起きたのか?
二つの「なぜ」/偶然のチャンス/秘密の漏洩を考えれば・・・・・/現実を考えぬ謀略論/光秀の謀叛の動機/光秀の遺恨?/怨恨説と野望説/二者択一は適当か/フロイスの光秀評/信長の四国政策の転換
第二部 さまざまな「謀略説」を検証する
第五章 裏付けのない「足利義昭黒幕説」
将軍の謀略/光秀と義昭の関係/義昭は関与したか/義昭関与の決定的証拠?/藤田氏の史料解読/「明智」だけで全員納得/書状を書いた真の目的/河隅書状の正しい読み方/土橋平尉宛ての光秀書状/連絡がなかった義昭と光秀/必死の逃亡者/毛利家の情報収集能力/
第六章 雄大にして空疎な「イエズス会黒幕説」
吹き込まれた「天下布武」/イエズス会と関係のない技術導入/信長の大砲/硝石の輸入/足を引っ張るイエズス会/下手な鉄砲/スローガンやイデオロギーが歴史を動かす?/三好長慶と朝倉義景の謀略合戦/本圀寺襲撃事件/「なぜか」路線を逸脱/後ろ向きの予言
第七章 誰でも「黒幕」にできる謀略説の数々
1 光秀は事件と無関係?-【明智光秀無罪説】
2 儲けた奴を疑え-【羽柴秀吉黒幕説】
3 命からがら逃げたのに-【徳川家康黒幕説】
4 敵陣営に味方をつくる-【毛利輝元黒幕説】
5 降って湧いた幸運-【長宗我部元親黒幕説】
6 不屈の教如-【本願寺黒幕説】
7 天から届いたお告げ-【高野山黒幕説】
8 名物の茶器で釣り上げる-【堺商人黒幕説】
9 信長の最大の敵だったのか?-【朝廷黒幕説】
第八章 謀略説に共通する五つの特徴
説明がなさすぎる/手際の悪い光秀/不手際は単独犯の証拠/機密保持への配慮/黒幕説の大きな弱点
【エピローグ】順序史観から謀略史観へ
あとがき-実像としての光秀
あとがき-「首相の愛読書」と本能寺の変
<今日の独り言>
2歳0ヶ月の息子に「ラチとライオン」という絵本で「えりまき」(マフラー)の場面を読ませていると、いつも息子は口を指差します。何でだろう?と思っていると、どうも「はみがき」と勘違いしていたようでした。^_^;)「違うよ」と一応教えておきました。^_^;)
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