<金曜は本の紹介>
この本は470ページもあり、また字が小さく1ページあたりの字が多いので、読み始める際は覚悟しますが、読み始めると、なかなか面白くて読みやすく、スイスイと読んでしまいました。
グーグルhttp://www.google.co.jp/は、有名な検索サイトで私もよく使っていますが、この本はこのグーグルの創業者のラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンが主に「世界を高速で検索する」夢をいかに実現したか、いかにユーザー思いでサービス運営しているかについて書かれた本です。
また、グーグルはニュースサイトも運営していますが、アメリカへ来た外国人が母国のニュースを見たいという欲求を満たすためや、同じニュースソースでも各メディアや世界で表現が違うことをすぐに確認できるようになっているということが分かり、私もこのグーグルニュースサイトのカスタマイズを行って、各国のニュースを毎日見るようになりました。面白いです。
以下はこの本を読んで面白かった内容です。とてもお勧めな本です!!
・サーゲイ・ブリンは反ユダヤ主義と差別から自由を求めて家族とともにロシアから逃れてきた。サーゲイは数学の天才で、19歳で学部課程を終えると、スタンフォードの博士課程が課す10試験を1回の挑戦ですべてA成績でパスし、その後の教授たちとの共同研究も難なくこなしていた。一方のラリー・ペイジはアメリカの中西部出身で、激しい競争を勝ち抜いてスタンフォードの博士課程に入学を許されたえり抜きの一人であった。二人の父親は、ともに大学の花形教授で、そしてどちらの母親もコンピュータやテクノロジー関連の仕事に携わっていた。
・二人は広告や高価な装置の購入に大金を注ぎ込まずに、マザーボードなどの部品を買って自分達でコンピュータを安く組み立てようとしていた。ブリンとペイジは普通のベンチャーとは正反対のアプローチで、便利なものを作ってみんなが使わずにいられないようなすぐれたサービスを提供しようとした。
・2000年頃は、グーグルで働く社員は85人に膨れ上がっていた。労働時間こそ長かったがみな家族のような扱いを受けていた。食事に関しても家族待遇で、無料の食事、体によいジュース、そしてスナックもたくさん用意されていた。グーグラーたちはまた、便利さもふんだんに享受していて、社内にはランドリー、美容室、医科歯科クリニック、洗車場が完備され、のちには託児所、パーソナルトレーナー付きフィットネス施設、プロのマッサージ師まで揃うようになり、社員たちは会社から一歩も出ずに生活できた。
・文字広告がグーグルの検索結果の右側に表示されるようになってから、利用者がクリックできる選択肢はかなり増えていた。そして、検索が増えるにつれて収入も増え、ついに2001年にグーグル社は創業以来初めて年間黒字を計上した。利益は総計700万ドルに達していた。
・グーグルは2つの要素を基に広告を順位付けた。1つは企業が広告を出すためにどれだけの広告料を払おうとしているか、もう1つはコンピュータ・ユーザーがその広告をどのくらい頻繁にクリックするかである。したがって、ある会社がある検索語に高値を付けて広告を出したとしても、ユーザーがその広告をクリックしなければ目立たない場所に後退してしまう。これと対照的なのがヤフーで最高入札者の広告はスポンサー広告の一番上に表示されることが確実に保証されている。ヤフーは人より多く払えば一番になれる資本主義を徹底し、グーグルは順位をユーザーに決めてもらう社会主義に徹している。
・グーグルでは、ソフトウエアのエンジニアは、どんなことでもいいから、自分が興味を持つプロジェクトに少なくとも勤務時間の20%を、もしくは1週間のうち1日を費やすべしという規則があり、この20%ルールは技術革新を促進する1つの方法だった。1週間のうち1日は、あなたのボスではなく、あなた自身が熱意を持っていることに使いましょう。そして、そのアイデアは儲け仕事につながるのだろうかとか、ヒット商品に化ける可能性はあるのだろうかといった陳腐なことは気にかけないようにしましょう。要は楽しみましょう、ということであった。
・グーグルはさまざまなメディア会社が生み出したニュースを自身のウェブサイトで再発行することになったが、グーグルのこの構想はあっという間に広まり、様々な報道機関が参加の意向を示した。グーグル・ニュースは、載せている記事の出所を常に明らかにしており、ユーザーはクリックするだけで情報の出所へ飛んで行けるようになっていた。グーグルの役割は実質的にはニュースの仲介人だった。再発行しているニュースを自分達のものと偽ったりしていなかったから何百もの、のちには何千ものメディアから集めてきたニュースを使用するのに許可を求めたり、使用料を支払う必要はなかった。
・2004年8月19日、ついにグーグル株はティッカーシンボルGOOGで、ナスダック市場に1株85ドルで登場した。この株式公開での売上は16億7000万ドルとなり、会社の初期市場価格は231億ドルとなった。
・グーグルは定住の地となったマウンテンビューに2004年1月に移転したが、その頃までには、グーグルはほとんどが独身の若い社員に最後の一口まで楽しめるすばらしい食事を無料で提供する会社として知られるようになっていた。シリコンバレーあたりでは、グーグルの食事はその辺のレストランの食事よりもおいしいと評判だった。そして、そのメニューは菜食主義者であろうとアジアや中東の料理に凝っている人であろうと、あるいはとにかく早くプログラムを書きに席に戻りたいから、とりあえず何か胃に入れたいといった実用的な欲求を持つエンジニアであろうと、どんな人の要求にも応えていた。グーグルにはできたてで最高の食べ物があったから、どこに食べに行こうかとか、誰と食べようかとか、ポケットに支払えるだけの現金があったかとか、そんなことを心配する必要はまったくなかった。その頃、シェフは熱狂的な追っかけで有名なロックバンド、グレイトフル・テッドの料理をつくっていたチャーリー・エアーズでグーグラーたちに愛された。
・グーグル・デスクトップ検索は、古い情報やこれから保存される情報を探すのに大変役立ち、さらに情報がどこにどんなふうに保存されていても探し当てることができたので、情報をフォルダやディレクトリのなかにきちんと整理する手間を省くことにもなった。グーグルはさらに歩を進め、会社内の書類や記録を10万件までインデックスし、検索できる、比較的高価な製品を考案して「職場」というマイクロソフトの勢力範囲まにまで手を伸ばした。
・グーグルは写真の検索と保存システムを、おしゃれでかつ使い方も簡単な編集機能やキャプション機能を付けて新たに提供し、そこから引き出される画像はいまや12億枚以上に達した。またグーグルは株価やタクシーや天気をすばやく検索できる新技術も発表し、コンピュータの前にいながらにして行き先として指定した地球上のどんな場所にでも、三次元の景色を眺めつつ、視覚的に飛んで行けるグーグル・アースを発表した。その後すぐにグーグルは、ムーン・グーグル・コムで月の表面を探検する機能も加えた。
・「スター・ウォーズ」の最新版が公開されたその日に、ブリンとペイジが近くの映画館を24時間借り切って、社員とその家族全員に無料チケットを配布した。
<目次>
はじめに
1章 不可能に思えることには、できるだけ無視の姿勢で
2章 ラリーとサーゲイの出会い
3章 ゲイツ360号室
4章 自分たちが世界を変える
5章 二大ベンチャー・キャピタルから融資を獲得
6章 グーグル・ドゥードゥルの誕生
7章 「サーチエンジン・ウォッチ」
8章 「グーグル」が動詞になる
9章 操縦士エリック・シュミットの参画
10章 AOLと提携
11章 グーグル経済圏
12章 20%・タイム・ルール
13章 全世界に広がるグーグル
14章 Gメール論争
15章 ポルノ・クッキー・ガイ
16章 ウォール街を震撼させる株式公開
17章 そしてついに株式公開
18章 グーグルは腹ペコだ!
19章 ライバル社との戦い、そしてグーグルの内情
20章 商標使用権をめぐる裁判
21章 図書館デジタル化プロジェクト
22章 クリック詐欺
23章 マイクロソフトを攻撃する
24章 初の株式総会-株価は急上昇
25章 中国市場を制する
26章 遺伝子をグーグルする-そして未来へ
資料について
感謝のことば
訳者あとがき
索引
<今日の独り言>
2歳7ヶ月の息子とお馬さんごっこをしていると、ふとんの上でしたが息子は後頭部から派手に落馬してしまいました^_^;)次からお馬さんに乗るときは「ゆっくり、小さく」と言うようになりました^_^;)学習しているようです・・・
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