<金曜は本の紹介>
「誰も知らないプロ野球「審判」というお仕事(元・セントラル・リーグ審判 篠宮愼一)」の購入はコチラ
この本は、1982年~1997年までセリーグ審判員だった篠宮愼一さんが書いたもので、その体験をまとめた本です。
特に、以下が面白かったですね^_^)
・球審(ホームベース後ろ)が大変
・審判はボールの試験をする
・広島・達川、阪神・木戸は審判泣かせ
・ある審判が場内説明をする時に、「行事の○○です」と言った
・古田選手の技術の凄さ
・野村監督のボヤき
・落合選手の凄さとその晩年
・イチローの凄さ
野球ファンには堪らない本だと思いますが、野球ファンではなくてもとても楽しめる本です!
とてもオススメです!!
以下はこの本のポイントなどです。
・このホームランが、後楽園球場における公式戦最後のホームランと記録された。幸いにも、試合は最終的に広島が5対2で勝利したため、広島ファンも一応は満足という結果になった。だが、当事者である審判は、当然ハッピーエンドとはいかない。翌日、この試合を担当した審判6名は、すぐさま連盟に呼び出され戒告と罰金処分を受けた。「球審2万円、内野審判1万円、外野審判5000円の罰金処分に処す」われわれの目の前には昨日の公式記録員が記入したスコアが置かれていたが、備考欄にはしっかりと注釈が付けられていた。「(注)4回裏、吉村選手は2-4からホームラン」
・1980年12月。大学4年生のとき、私の運命を大きく変えるニュースが飛び込んできた。セントラル・リーグが、審判の一般公募を行うという。千載一遇のこのチャンス。確かに狭き門だが、これにチャレンジせずして、プロ野球の審判への道はない。私は迷わず受験をした。このときの募集には、全国から約350名の応募があり、書類選考の時点ではすでに、全体の9割以上が落とされた。2次選考に進めたのはわずか30人。採用されるのは、この中のたったひとりである。結果は不合格。しかも次点であった。次点というと普通なら、相当悔しいところなのだが、不思議とこのときは、素直に自分に言い聞かせることができた。<仕方がない>私は大学を卒業し、中野郵便局郵便課に就職した。しかし、人生とは面白い。中野郵便局に勤めるようになって3ヶ月ほどが経過した5月に電話があった。聞けば、セントラル・リーグが採用枠をふたりに増やし、次点で落ちた私を繰り上げて採用したいというではないか。翌日、中野郵便局長に辞職願を提出した。局長もビックリしていたが、郵便局からプロ野球の審判が誕生するなどという事態は、局はじまって以来のこと。「応援するから、頑張ってこい」この言葉に嘘はなかった。
・先輩からは、審判としての極意を徹底的に叩き込まれた。ルールはパーフェクトに覚えているのが当たり前。
1.常に毅然とした態度。そして一度下した判定については堂々と主張。
2.抗議は短く収める。
3.24時間、常に野球のことだけを考える。
4.ユニフォームは審判にとっての舞台衣装。常にきちんと着こなす。
5.ひとつのアウトを判定したとき、常に次のプレーのことを考える
・少しでもジャケットやズボンがよれていたり、折り目がなかったり、スパイクが汚れていたりすると、厳しく注意される。もちろんヒゲもご法度で、試合中の立ち姿にも注意を払うよう指導された。そういう厳しい部分を持っている方だからこそ、いついかなるときにでも、堂々と判定をすることができたのだろう。
・審判もプロ野球選手の自主トレに合わせて始動し、2月のキャンプインと同時に身体が動くように体調を整えていくことになる。私の場合よく、自宅の周辺を走りこみ、オフの間に鈍った足腰を鍛え直した。また、動体視力を回復させる練習と発声練習も、この時期から行っていた。ただ、発声練習に関しては、たとえ雨戸を閉めて防音に気を使っても、どうしても限度がある。そこで、キャンプイン直前はよく、近所のカラオケボックスに通った。
・5ダースだけで1試合まかなえるケースはほとんどないのが現状だ。もしボールが足りなくなったときは、ホームチームが保管している予備の公認球が、ゲーム中に審判控え室へと運ばれてくる。そして、ゲーム前と同じように、審判の手によって、光沢を落とす作業が行われる。また控え審判にはもうひとつ、試合中に欠かせない大事な仕事道具があるのだ。ここで必要なものというのはなんと「消しゴム」なのである。控えの審判は戻ってきたボールをチェックし「使える」と判断したボールの汚れた部分を、この消しゴムを使ってこするのだ。そうすると、これがじつによく落ちるのだ。
・経験の浅い若手を除くと、審判は一塁、二塁、三塁、そして球審を担当し、翌日は「上がり」というローテーションになる。今のペナンとレースは3連戦が主体なので、初戦で一塁と控えだった審判が球審を担当することはない。つまり三塁審判というのは、翌日の球審であることを意味する。審判はそれだけで、ずいぶんとナーバスになる。「触らぬ神に祟りなし」というわけではないが、そっとしておいてあげるのが、最良の方法なのである。もっとも、誘ったところで乗ってくるような人は、まずいない。それほどまでに球審という役割は大きなプレッシャーを与えるものなのである。
・審判は、「プレイボール」とコールした以上は、試合を成立させたいというのが本音である。というのも、審判は試合が中止になれば出場手当てをもらうことができない。だからゲームがはじまれば、とりあえずはホッとする。ところが雨等で試合が成立せずノーゲームとなった場合、出場手当ては支給されないのだ。
・審判がもっとも苦労をするのは、ショートバウンドの球にバッターが手を出したときと、内角に来た球がバットに当たったのか、それとも身体に当たったのかを見分けるときである。この判定は、どんな審判であっても苦労する。微妙な場合、とっさの判断材料となるのは、じつは本人の表情である。本当に身体にボールが当たったときというのは、間違いなく表情に出るものである。脂汗を浮かべていたり、眉間にシワを寄せてつらそうな表情をする。
・私が上手いと感じた捕手といえば、古田捕手をはじめ、ヤクルトから日本ハム、阪神、そして2009年からは横浜へと移籍した野口寿浩捕手や、横浜から今年ヤクルトに移籍した相川亮二捕手などが挙げられる。球審を担当するとき、彼らがマスクを被っていると、ゲームに集中することができた。逆に嫌だったのは、やはり捕球に難のあるタイプ。特に低めのボールをよく落とす捕手は、後逸することもあるし、落とすたびにボールの交換を要求したりする選手もおり、嫌だった。「プロのキャッチャーなんだから、ちゃんとボールくらい捕ってやれよ」などといいながらボールを渡していたものである。
・一番困るのは、球審である私がジャッジを下す前に、自分で勝手にジャッジしてしまう捕手。これがもっともやりにくい。彼は、投手が投げた球を捕球すると、球審がストライクともボールともコールしないうちに自分で判定を下し、さっさと投手にボールを返してしまう癖があった。審判はどちらかというと、捕球した状態でミットを動かさないほうが判定しやすい。このチームの投手はずいぶんとストライクを損したはずである。
・セントラル・リーグで審判泣かせの捕手といえば、なんといっても広島の達川光男捕手と、阪神の木戸克彦捕手のふたりが双璧だった。達川捕手、とにかくよく喋る。野球に関係のない話も平気でしてくる。とにかく1回から9回まで、何でもいいから喋っていないと落ち着かない性格のようだ。木戸捕手も、やはりよく喋る。セントラル・リーグの審判員の多くは、この両捕手が出場する広島対阪神戦の球審だけは「御免こうむりたい」という思いが強かったと思う。
・2時間台なら「おっ、今日は早いな」。3時間台前半なら「まあ、なんとか」。後半だと「ちょっとかかったな」。延長戦に入り、4時間台前半だと「今日は仕方ないな」。後半だと「いやあ、長かった」。5時間台だと「疲れたな。さすがにしんどい」となる。そして、延長戦でもなく、9回でゲームが終わったにもかかわらず5時間近いと「いい加減にしてくれ」となる。特に球審の場合は疲労困憊だ。
・投手が乱調だと、すべてが負の連鎖を生んでいく。球数が多くなる。四球が増える。得点が入る。タイムが増える。交替が多くなる。攻撃時間が長くなる。どれひとつとっても、時間が短くなる要素はない。ストライクが入らないピッチャーほど球審泣かせの存在はない。球数が増えれば判定機会も多くなる。やはり腰を中心に、身体への負担は多くなるから、かなりきつい。選手ならば、攻撃の合間にインターバルを取ることもできるのだが、審判はそれができない。水分補給はイニングの合間にすればいいが、逆に水分放出(つまりトイレ)は我慢しなければならない。もちろん試合終了までは立ちっぱなしだ。
・球審の私に長嶋茂雄監督が交代を告げた。「篠宮君、代打、川相」長嶋監督は、明らかにベルトに手を当てていた。もう、送りバントに決まっている。「やっぱりバントですよね。二塁に投げるの、やあめた」長嶋監督のジェスチャーを見た横浜の谷繁元信捕手が、ニヤリとしながら、私のそういった。立場上、相槌を打つわけにはいかないのだが、長嶋監督のあまりにも「天然なしぐさ」に、私は不覚にもうなずいてしまった。谷繁捕手は、絶妙のバント技術を誇る川相選手がバッターでは、二塁封殺は無理と判断したのだろう。その言葉どおり、谷繁捕手は川相選手がバントした打球をつかむと、二塁には目もくれず一塁へ送球。「敵も味方も、バントだと思っているんでしょ。隠したって、しょうがないもの」長嶋監督の顔にはそう書いてあった。敵を欺いたり、審判の目をごまかしたりすることには、まったく関心のない長嶋監督ならではの「迷采配(?)」であった。
・「ストライーク、じゃなーい」人間の頭は不思議なもので、自分が発しようとした言葉とは違う言葉が口から出てしまうことがある。
・微妙な判定を巡ってゲームが中断し、場内説明をしなければならない場面。バックネット近くの場内マイクに向かった谷先輩、開口一番こういった。「行司の谷です」場内は大爆笑。「行司軍配は・・・」とは続かなかったからよかったが、もしかしたらこのときの谷先輩は、どうしても気になる相撲の大一番があったのではないかと、いらぬ勘繰りをしてしまった。
・硬球が直撃したときの激痛は、まさに想像を絶するものがある。「やばい・・・」と思った瞬間、スピンがかかったボールは、私の右腕を直撃。言葉にならず。額からは脂汗が滲み出てくる。私はその場に倒れこんでしまった。「篠さん、痛いけれど我慢して」横浜トレーナーの江川さんがそういうと、打球が直撃した患部を揉みほぐしだした。言葉では表現不可能!気を失いそうになるほどの痛みが全身を駆け抜ける。強烈な力で、江川さんは腕を強く揉みつづける。「もう少しだから。ボールが直撃したときっていうのは、こうして揉んで、すぐに血管を散らさないと、後で紫色のあざが残っちゃうから」私があまりにつらそうな表情をしているので、本人も気が引けたのか、まるで諭すように語りかける。それを聞いた私は、ちょっとひと安心。右腕は普段の半分も上げることはできなかったが、気力でなんとか最終回まで球審を務めた。しかし、さすがはプロのトレーナーだ。私の右腕の痣は1週間ほどで痛みとともに消えてくれた。
・私も球審として7回くらいまでノーヒットというのは何度も目撃してきたが、だいたいはその直後に安打を許していたものだ。実際に記録が達成されたゲームは、イースタンリーグで2回だけ経験している。ひとつは巨人の香田勲男投手が、西武を相手に達成したもの。そしてもうひとつだが、これは1軍も加えた日本プロ野球の歴史の中でも唯一といえるものであった。私は日本の審判の中で唯一、両軍無安打試合の球審を務めた審判となったのである。
・甲子園球場のメンテナンスは、他の球場のどこと比較しても、ずば抜けて素晴らしい。そんな思いは、ここ甲子園球場でプレーした選手なら、誰でも同じであろうと私は思う。2001年、阪神の和田豊選手は自身の引退セレモニーの際、球場を埋めた大観衆を前にこんな言葉を残している。「いつも最高の状態でプレーをさせてくれた、阪神園芸の皆さんに感謝します」
・「ジャンパイア」とは巨人に肩入れしている審判のことを指す言葉だ。ただ、記録を調べてもらえば分かると思うが1年を通じてそれほど極端な判定の差が出るものではない。審判は生活がかかっている。特定のチームが勝つよりも、自分の評価が上がることを優先する。正確なジャッジと、ゲームコントロールを行うこと。評価の対象となるのはこの2点だけであることを覚えておいてほしい。
・落合博満選手の2打席目のこと。内藤投手は、アウトコース低めにスライダーを投じた。右バッターから見て、外に逃げる変化球は、カットしてライトにファウルを打つか、ボールに逆らわずに、流し打つのが普通だ。だが落合選手はこのボールを左中間へと引っ張った。打球はレフトとセンターの間を抜く長打となり、楽々と二塁に到達。あの打球を引っ張ることができるのが、プロの4番なのだということを、私はこのときはじめて知ることができた。
・この打席で落合選手は、アウトコースに外れたボールに手を出した。ボールはファウルゾーンを転々として、やがて追いついたボールボーイによって回収されていったのだが、この直後、落合選手はひょんなことを口走った。「篠、今のはいっぱいか?」「いいえ、落合さん、明らかに外れていますよ」本当は、試合中にコースについての説明をすることは禁止されている。もちろん私も、普段ならばたとえ相手が落合選手だろうが、長嶋監督だろうが、絶対にこうした会話を交わすことはない。だが、なぜかこのときだけは、マスク越しに正面を向いたまま返事をしてしまった。目の前にはヤクルトの古田捕手がいるというのに・・・。「そうか・・・」落合選手はそう呟くと、次の投球を引っ掛けた。平凡な内野ゴロだった。一塁塁審がアウトのジャッジを下した。ボールを取り替えるため、私は両手を広げてタイムをコールした。それと同時に古田捕手が私に話しかけてきた。「篠さん、たぶん落合さん、そろそろ潮時かもね」「今までの落合さんなら、あのコースは絶対に手を出さなかったからね」結局、落合選手はその年、FAで日本ハムへと移籍したのだが、移籍後2年間の打率は2割6分台と2割3分台。本塁打数も合計でわずか5本と低迷し、バットを置いた。
・まず、あのコースをライト線に運ぶことができることに怖れいった。それ以上に、外れていると認識したボールを、審判がストライクと判定したとたん、ストライクゾーンへと瞬時に変えたことに驚いた。やはり天賦の才能がなせる技なのだろう。「篠宮さん、イチローはやっぱり天才だね」悠然と二塁に立つイチローを見ながら、谷繁捕手がささやいた。私は、ただただ、うなずくしかなかった。
・私の中で強く印象に残っているのは、横浜の工藤公康投手と、元中日の今中慎二投手のカーブである。工藤投手は、彼が西武ライオンズに入団して2年目、イースタンリーグの試合に登板したときにはじめてそのカーブを体感した。まさに「2階から落ちてくる」という表現がピッタリとあてはまる大きな落差であった。
・もっとも嫌だったのは、伊藤智仁投手が投げるときのゲームだ。伊藤投手は150キロを超えるストレートと、真横に滑るように曲がる高速スライダーを武器とする本格派の速球投手。「江川2世やな」入団1年目のキャンプの際、あの野村監督が絶賛したほどの逸材だ。事実、この年は7月に肘痛で戦線を離脱するまで、14試合に登板し7勝2敗、防御率0.91という活躍をする。しかもこの7勝のうち、4つが完封勝ち。さらに投球回数109回に対して、126奪三振を奪っていたのだから、いかに打者をきりきり舞いにさせていたのかが分かる。それだけの投手と、古田捕手がバッテリーを組んでいるのだから「こんなの打てるわけがないだろ」と誰もが思うのも当たり前の話だ。球審の私でさえそう感じていた。「キャッチャーだからまだ捕ることはできるけれど、あの球を打者として、打てといわれたら、絶対に無理だ」当の古田捕手でさえ、そう語っていたほどなのである。
・引退するまでに、すべてをやり尽くし、真っ白になるまで完全燃焼できる幸運を手にすることのできる選手は、プロ野球界全体の中でも、一握りの選手にしか与えられることはない。昼は2軍、夜は1軍という、1軍半の審判にとって、2軍でかつてのスターたちと顔を会わせることほどつらいことはない。なぜなら審判は、一度2軍に落ちてしまった往年の名プレーヤーのほとんどが、二度と1軍への再昇格をすることなく、グラウンドを去っていくことを知っているからである。
<目次>
プロローグ
第1章●野球が好きだから耐えられるけど・・・ プロ野球審判はつらいよ
プロ選手はあきらめた!審判で夢のつづきを・・・
瓢箪から駒!「国家公務員」から「プロ審判」
審判への道は厳しく、つらく
デビュー戦で知った審判の絶望的な孤独感
審判はカラオケが大好き?
プロ野球審判に胃病が多いワケ
ニューボール、じつは「真白」ではないのです
消しゴムは立派な「野球用品」である
たったひとり、私を見ていてくれた人がいた!
審判の「哀しい財テク」
三塁塁審はつきあいが悪い?
審判の仕事は雨で干上がる?
「ノーゲーム」は「タダ働き」です
こんな「雨乞い」は二度とご免!
「ルールブックの間違いを見つけろ」という難問
「最初は投手」ゲームの流れでルールを頭に叩きこむ
球審のプレッシャーは想像を絶する
「薄着」ができないお仕事なんです
審判は試合前も結構大変!
第2章●おやべり、テクニシャン、異才・・・ プロ野球選手「芸人列伝」
やっぱり「親分」は偉い!
こんな「変化球」は見逃すにかぎる!
選手の中にはアカデミー賞級の凄い役者もいる
自分でジャッジしちゃだめですよ!
「広島・達川vs阪神・木戸」は審判泣かせ
多摩川球場、東横線との熾烈な戦い
勘弁してよ!「審判の珍プレー」
ある投手の「スピード」を褒めたら・・・
川相選手が深夜残業を回避してくれた?
もう少し平光先輩の体が柔らかかったら・・・
プロ野球と相撲には深い関係がある?
”ゴッドハンド”のトレーナーがいた!」
「珍プレー番組」には”退場”を宣告したい!
愛すべきパンチョさんとの思い出
大先輩から届いた一通の手紙
第3章●ケンカ放棄、非武装中立主義者の悲哀 今だから話せる!審判秘話
奇跡の試合を捌いた!
江川さんは擁護してくれたけれど・・・
甲子園が「聖地」であるという話
名審判に辞表を提出させた甲子園の罠
「退場!」へのイヤガラセから救ってくれた公式記録員
原選手の「同級愛」
ホームラン賞は審判ももらえる!
審判に「晴れ姿」はない?
審判稼業は妻との二人三脚
やっぱり「野球少年」が原点
審判もプロとアマの交流を!
実況中継!地獄の「2人制審判」
メジャー・リーグ審判は”超”のつく狭き門
審判の権威について思うこと
WBCで示した日本人審判の高度な技術
誓っていう!「ジャンパイヤ」など存在しない
第4章●長嶋、王、野村、落合、イチロー、原、古田・・・私が見たスター選手たちの光と影
名選手、名監督は審判に優しい?
「ミスター」はいつまでもスーパースターだ
王さんは全野球人の「元気の素」
野村監督、今日のご機嫌はいかがですか?
はじめての球審!落合選手のひとことがグサリ
大打者の晩年に感じたこと
「審判にアジャストする」天才・イチローの凄さ
魔球は本当に存在するんです
私が感嘆したある名キャッチャーのワザ
消えた!悲劇のエースの変化球
審判が「密かに慕う」投手とは?
ある名投手の最後の試合
メジャー・リーグの大スターが目の前に!
エピローグ
<今日の独り言>
大阪に行って、たこ焼きを食べたのですが、さすが旨いですね~。よく見るとコンニャクも入っていました^_^) これもポイントですかね・・・?
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