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岐阜城(岐阜市)へ行って来ました!

<月曜はお勧めなおはなし>

岐阜市の金華山山頂標高329mにある岐阜城へ、ロープウェーを使って行って来ました!

 岐阜城は、1201年に二階堂行政が稲葉山(金華山)の上に砦を築いたのが始まりとのことです。

1533年に油売りの行商から国盗りに成功したとされる斎藤道三が後を継ぎ、城主となります。

1564年には斎藤家の家臣であった竹中重治(後の豊臣秀吉の軍師)と安藤守就が造反したことにより斎藤龍興らが稲葉山城を捨て、竹中らが稲葉山城を半年間占拠するということもありました。

 1567年に織田信長が西美濃三人衆の内応により稲葉山城下に進攻し、斎藤龍興は城を捨てて長良川を舟でくだり、伊勢長島へ逃亡します。

 同年、信長は本拠地を小牧山から稲葉山に移転し、古代中国で周王朝の文王が岐山によって天下を平定したことに因み、城と町の名を「岐阜」と改めました。

 1576年に信長は嫡子織田信忠を岐阜城の城主とし、織田家の家督、及び、美濃、尾張の2ヶ国を譲します。

1582年に本能寺の変で信長・信忠が死んだことにより、清洲会議で信長の子である織田信孝が美濃国を拝領し岐阜城の城主となりますが、柴田勝家が豊臣秀吉に敗れ、兄・織田信雄によって居城の岐阜城を包囲されると、織田信孝は降伏し切腹となります。

それから池田元助が岐阜城主となりますが、1584年の小牧・長久手の戦いで討死したため、池田恒興の次男・池田輝政の居城となります。それから1591年に転封により、池田輝政に代わって豊臣秀勝が岐阜城の城主となりますが、1592年に豊臣秀勝が没すると、織田秀信(幼名・三法師(織田信長の孫、織田信忠の子)が岐阜城の城主となります。

しかし、 1600年に織田秀信が石田三成の挙兵に呼応し西軍についたことから、福島正則や池田輝政らに攻められて落城します。秀信は高野山に追放され、1605年に死亡します。

岐阜城の城主は、斎藤道三以降、兄を失った池田輝政を除き、全員非業の死を遂げたことになります。これは凄いですね。
それだけ岐阜城は重要な場所だったということだと思います。

確かにこの辺りを自転車で旅をして実感しましたが、岐阜城は関ヶ原を通って京都へ通じる中仙道沿いだし、濃尾平野を見渡せ、北の越前にもつながる交通の要所だと思います。

 それから1601年に徳川家康は岐阜城の廃城を決め、奥平信昌に10万石を与えて加納城を築城させます。その際、岐阜城山頂にあった天守、櫓などは加納城に移されたようです。

 そして、1956年(昭和31年)7月25日についに、鉄筋コンクリート建築で3層4階建ての復興天守が落成しました。天守閣の設計は加納城御三階櫓の図面や古文書を参考に行われたとのことです。

 岐阜城へは、JR岐阜駅からバスで約15分の所にある岐阜公園内のロープウェーから行くことができます。

標高329mの金華山山頂の所に天守閣があるので、以下の写真の通り遠くからみると、かなり城が小さく見えます。

あぁぁ織田信長の本によくある稲葉山城の挿絵と一緒だと思い、感動しましたね・・・^_^)

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↑標高329mの金華山山頂にある岐阜城天守閣

ロープウェー乗り場に行きます。ホテルのフロントでもらった割引券が使えてラッキーです。

通常往復1050円ですが、団体割引と同じように1割引となるようです。。

ロープウェーは15分毎に出発で、乗車するま、少し時間があったので、近くの信長居館跡を見ます。

発掘を進めているようでした。

信長がここに住んでいたのかぁと思うと感動します。

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↑信長居館跡の案内

また、以下の写真のように、斎藤家時代と織田家時代の間に炭があることから、織田信長が1567年に稲葉山城を落としたときに、炎上したと考えられるようです。

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↑織田信長以前の居館

それからロープウェーに乗りますが、3分で頂上まであがり、速い!

景色もどんどんよくなります!

それからロープウェーを降りて、天守閣へ向かいます。

徒歩約8分かかります。

途中に色んな説明板や展望レストランの案内があります。

その中で、豊臣秀吉の千成瓢箪の由来がありました。

1567年8月14日にこの稲葉山城へ潜入し、薪小屋に火を放って手柄をたて、この時に槍先に瓢箪を結びつけ、槍を振り回しながら大音声で勝ちどきをあげて以来、千成瓢箪発祥の地とされているようです。なるほど。

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↑豊臣秀吉の千成瓢箪の由来

そして、天守閣が近づいてきます。

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↑岐阜城天守閣

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↑岐阜城天守閣の近くから

入場料200円を払って、中へ入ります。近くの岐阜城資料館もこの入場料で入れます。

城内は、3層4階建てで、1階は「武具の間」、2階は「城主の間」、3階「信長公の間」、4階「望楼の間」となっていて4階が展望台です。

織田信長時代の岐阜城図があり、結構きれいで良かったですね。

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↑織田信長時代の岐阜城図

そして、4階の展望台へ行きますが、あまりにも景色が美しすぎて感動しました!!

特に、長良川が大きく、くねくね曲がっていて雄大です!!

木曽川も見えました!

あいにく、この日は霞がかっていましたが、天気がよければ、伊勢湾まで見えるようです。

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↑岐阜城天守閣からの眺め

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↑岐阜城天守閣からの眺め

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↑岐阜城天守閣からの眺め

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↑岐阜城天守閣からの眺め

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↑岐阜城天守閣からの眺め

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↑岐阜城天守閣からの眺め

広大な濃尾平野が一望でき、見事です!

織田信長が、尾張を平定して、美濃に攻め入った理由がわかりましたね。

天下を獲るためには、この尾張と美濃のこの広大な濃尾平野を配下に治め、三河の徳川家康と同盟を結んで後顧の憂いをなくし、そして比較的平坦な、岐阜城西にある関ヶ原を通って京都方面へ行くしかありません。

美濃を治めずに西へ進めば、退路を断たれて窮地に陥る可能性がとても高いためです。

また、この岐阜城からの素晴らしい眺めを見れば、天下を獲った気分にもなりますね。

織田信長が、「天下布武」の朱印を用い、本格的に天下統一を目指すようになった気持ちがよく分かりました!

それから、夕陽の長良川方面も素晴らしかったです!

夜景もきれいに見えるようですね。

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↑夕陽の長良川

岐阜城見学は、景色が素晴らしく、とてもとてもオススメです!!

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