<月曜はお勧めなおはなし>
関ヶ原の戦いとは、徳川家康を総大将とする東軍と、毛利輝元を総大将とし石田三成を中心とする西軍が、1600年(慶長5年)に岐阜県不破郡関ケ原町で戦った戦ですが、その関ヶ原古戦場へ行って来ました!
岐阜県大垣市の大垣城から滋賀県長浜市の長浜城を目指して自転車で走っている時に、この古戦場を発見しました。
その関ヶ原の合戦のあらましは以下の写真の通りです。
また、関ヶ原町観光案内図は以下の写真の通りです。
まず、国道21号線を橋っていると、道の左側に徳川家康が最初に陣取った桃配山の案内の大きな看板がありました。
そこには桃配山の由来の説明板もありましたね。約1300年前も天下を分ける戦(壬申の乱(672年))があり、それに大勝した場所であることから、徳川家康はその話にあやかってこの場所に陣を敷いたようです。なるほど・・・。
それ
から、国道365号線へ右折して約1km走ると、島津義弘陣跡や小西行長陣跡等の案内がありました。
左に曲がると、島津義弘陣跡などです。
それから、国道365号線を右に曲がると関ヶ原決戦地や笹尾山の石田三成陣跡等の案内がありました。
島津義弘陣と石田三成陣の距離は約750mということが分かります。
確か合戦時には、石田三成の使者が島津義弘陣に何度も走り、戦いへの参加を促したとされますが、その距離感がよく分かります。
すぐ近くには、関ヶ原決戦地には石碑が立っていました。
西軍の方が高く、なだらかな坂になっていて、地理的には西軍が有利だったんだなぁと思いました。
また約400年前に大激戦があったことを考えると、思わず手を合わせました・・・。
それから、石田三成の陣があった笹尾山には、たくさんの旗がありましたね。
その旗は石田三成の家紋が記されているようです。
そして、笹尾山の前には石田三成の家臣で猛将の島左近の陣跡の説明もありました。
そして、笹尾山に近づくと、石田三成の陣地の説明がありました。
笹尾山は東軍の方を見渡せ、あらためて西軍は良い場所を陣取っていたんだなぁと思いました。
しかし、裏切りが続出すれば、良い場所であっても負けてしまいます・・・。
今回は、時間があまりなくてじっくり見れませんでしたが、次回訪れた際には各陣地跡や資料館にも行ってみたいと思います。
歴史好きな方には、関ヶ原古戦場はとてもオススメです!!
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