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「スティーブ・ジョブズ 神の遺言(桑原晃弥)」という本はとてもオススメ!

<金曜は本の紹介>

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 「スティーブ・ジョブズ 神の遺言」という本は、ジョブズの生い立ちから死に直面した日までのエピソードや言動をまとめたものです。

 スティーブ・ジョブズといえば、パソコン(アップル2やマック等)という新しいツールを世に出して世界を変え、iPod、iPhone、iPadなど私たちのライフスタイルを広げた製品を作り出したアップルの創業者です。

 ジョブスはアップルを創業するも30歳の時に追放されますが、ネクストを創業し、ピクサーを買収してCEOとなり苦労しながらも成功し、そしてアップルに復帰して、市場が絶賛したiMac、iPod、iPhone、iPadを開発して世界のライフスタイルを変えたことはとても凄いし素晴らしいことだと思います。

 ジョブズは日々の毎日を最後の日だと思って猛烈に働き、そしてあくまでユーザーの利便性を第一として技術的な問題を克服して、今までになかった新しいモノを作り上げるというその意志の強さにも感服しました。

 また最近、スティーブ・ジョブズという映画を観たのですが、本書ではその中での逸話も随所にあり、より理解を深めることができますので、併せて映画を観ることもオススメします!

 「スティーブ・ジョブズ 神の遺言」という本は、とてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・1955年生まれのジョブズの少年期、青年期は、アメリカの転機に当たっていた。ドルが世界の基軸通貨となって繁栄を謳歌する一方で、J.F.ケネディ大統領の暗殺やベトナム戦争に象徴される矛盾も顕在化するようになっていた。ベトナム戦争に反対する若者たちが起こしたのが、既存の価値観を否定するヒッピームーブメントだった。若いジョブズも、その中にいた。ヒッピーを卒業して、なんとか就職したゲームメーカー、アタリ社では、薄汚いジーンズをはき、坊主頭で、裸足でうろつき回ったりする変わり者だった。そんなジョブズが創業したアップルは、パソコン市場を切り開いた革新企業だった反面で、カウンターカルチャー(対抗文化)の一面も残していた。

・ジョブズのアドバイスは、月並みだが的を射ている。「皿洗いでもいい、とにかく仕事というものに携わっていなくてはならない。そして、情熱を持って取り組める、これという仕事を求め続けていけ」猛烈に働く。だが決して働かされない。好きなことを追求する。それが未来の扉をこじ開ける。ジョブズは1985年に、自分が創業した会社アップルから追放されている。そんな屈辱にまみれてもなお、ピクサーとネクストという会社をつくり、さらには10年後にアップル復帰をなし遂げたのは、「この仕事が好きだ」という熱い思いがあったからこそだ。好きでさえあれば生き抜いていける。なぜか。好きであることは、すべてを耐える原動力となるからだ。ジョブズは、成功する起業家と敗北する起業家の分岐点は、「我慢することができるかどうか」であり、「我慢することだ」と次のように言っている。「起業という試みはとても厳しい。人生のほとんどをつぎ込むことが求められ、誰にも耐えられない試練に見舞われることもある。本当に厳しく、仕事のためだけに人生が費やされていく。すでに守るべき家庭を持ち、会社を立ち上げてまだ日が浅ければ、どうやってその苦境を乗り越えればいいのかは私にもわからない」ジョブズ自身はそれを乗り越えてアップルを立ち上げ、ピクサーとネクストを創業した。さらに、倒産寸前に陥っていたアップルに復帰して、「iMac」などで再建した。それ以降も成功に甘んじることなく、iPod、iPhone、iPadとヒット製品を世に送り続けているのは周知の通りである。起業の厳しさを語るうえでジョブズほどふさわしい人物はいないだろう。創業当時のアップルでは、1日18時間働き詰めに働く日が毎週7日も続くことがあった。家に帰ることができるのは週のうち2回か3回。そんな激務に耐えられたのも、この仕事が好きだという情熱があったからだ。

・ジョブズたちは工業製品ではなく工芸品としてパソコンをつくった。そのパソコン「マッキントッシュ(マック)」によるDTP(卓上出版」という大変革が、今度はユーザーにアートをもたらした。それまで特定の人に限られていた出版や、活字による発信が簡単にカラーでできるようになっただけでなく、マックは、タイポグラフィ(書体やレイアウト)もアートだったのだ。現在では普通になっているアイコンやウィンドウでパソコンを操作できるグラフィカル・ユーザー・インターフェース(GUI)も個人にアートをもたらした。

・よりよく生きるために日頃から死を身近なものとして意識する生活は、禅に傾倒した若い頃からのジョブズの生き方だ。2004年に行ったスタンフォード大学の卒業記念スピーチのテーマの一つは「死」と「生きがい」だった。そこで語られた、「日々を最後の日として生きよ。その日は誤ることなくやってくる」という言葉は、スピーチのちょうど10年前、アップル復帰前のジョブズがすでに語っていたものだ。自分の命がいつ尽きるか知ることはできない。今こうしている瞬間に死を迎えるかもしれない。その時、自分が残していくのは、何か。「子供のこと、友人のこと、そして仕事のこと・・・死に臨んで、それが私の残していくものだ。気がかりはそれだ。しかし、それを責任として考えるつもりはない」と。成功した起業家には経済的にも社会的にも責任が求められる。たとえば、ビル・ゲイツは、マイクロソフトの会長職にとどまりながらも、2008年に社業から退き、ビル・アンド・メリンダ・ゲイツ財団の活動に専念している。慈善運動を通じて莫大な資産を社会に還元しようとしているのだ。ジョブズはどうか。アップル会長として何をなすか。慈善事業家になるのも一つだろうが、仕事を続けることが責任を果たすことだと考えることもできる。「やってきた仕事がすべてを物語る」現在進行形は人の気を引くが、過去形はもうあまり気を引かない。真の価値とは、何かを継続することなのだ。

・ジョブズの人生の最大の節目は、やはりアップル設立なのだ。しかし、それが単なるアメリカ人青年の幸運に終わらず、さらなる成功につながるのは、マックの開発で極限まで働く経験を経たからである。新しいものをつくるためには、ジョブズは1日24時間、365日働くことをいとわなかった。周囲にいる人間も、負けず劣らずよく働いた。たとえばスティーブ・ウォズニアックは、製品開発に取りかかるのが遅くて周囲を困らせたが、いったん腰を上げると文字通り寝食を忘れ、不眠不休で精魂を傾けた。ほとんど狂気に近い状態だったという。古参社員のビル・アトキンソンは、ぶっ続けで働いてグロッキーになって交通事故にあい、危うく死ぬところだった。また、マック開発チームの部屋にはゲーム機がたくさんおいてあったが、それは週90時間も働くと、自分が疲れているのか元気なのかもわからなくなるからだった。そこでゲームをする。「いつもなら簡単にクリアできるのに、できないな。そうか、疲れてるんだ。仕方がない、寝るか」となるのだった。マック誕生20周年の時にジョブズは、こう述懐している。「僕も含めて、マックの開発チームにいた連中はみんな、あの当時が自分のキャリアの絶頂期だったって言うだろうね。僕らは毎週7日間、毎日14時間から18時間ぶっ通しで働いた。2年間ずっとね。いや、3年かもしれない。それが僕らの生活だった。でも、みんなそれをたのしんでた」輝かしい成功の影には、これほどの激務がある。

・シリコンバレーの急成長企業は好んで若いエンジニアを採用する。それは、彼らが優秀で活力に満ちているからだが、もう一つ理由がある。独身の若者なら、家族を気にすることなく激務に打ち込めるからである。そして、極限が局面を開くことも事実なのだ。人生の一時期の極限経験は力強いキャリアになる。

・当時、オンラインストアの事業化は無謀だとされていて、多くの企業が失敗していた。ジョブズはiPodのユーザーが、音楽を合法的に、簡単に、安く入手できるようにしたかった。それも、大手レコード会社すべてが参加する品揃えだ。率先して交渉に臨んだ結果、ついにiTMSがオープン、音楽業界に一大革命を起こすことに成功した。成功のレシピが完成したのである。音楽事業を軌道に乗せることは、ジョブズにとっても大変な闘いだった。音楽業界も、IT業界も絶望視していた。それを成功させたから、「成功のレシピ」を手に入れられたのだ。ジョブズは、アップルに復帰した時、こう言って、その後の発展を予言している。「昔を振り返るのはここでやめにしよう。大切なのは、明日、何が起きるかだ」

・若き日、ジョブズは会社の規模が大きくなるにつれ、企業がダメになっていくという問題点を指摘していた。「会社の規模は何十億ドルにもなると、夢を失ってしまいがちだ。会社を経営する人間と、実際の仕事に携わる人間との間に、何層もの中間管理職が組み入れられて、働く者は製品に対して本来抱くべき愛情や情熱を失ってしまうのさ」すぐれた人間は素晴らしいアイデアを持っていたとしても、実現にはたくさんの管理職の説得が必要になる。すぐれた人間は、嫌気がさして会社を去り、まぬけばかりが会社に残ってしまうのだ。ジョブズと同様の見解を示しているのが、グーグルの創業者ラリー・ペイジだ。「企業には悪しきパターンがある」テクノロジー企業ですら、実際に仕事をするエンジニアやプログラマーは、経営陣に首根っこを押さえられている。せめて経営陣が技術に強ければいいのだが、彼らの多くは技術にはうとい。その結果、経営陣の指示は的外れになり、あとには幻滅しか残らない。それを防ぐためには、現場のエンジニアたちが権限を持ち、経営陣にも技術を理解している人間がなるべきだ。「エンジニアの楽園」と呼ばれるグーグルはそうした風土を持っているから、すぐれた製品を生み出すことができるという。

・ジョブズにとって1985年が、そんな最悪の年だった。前年にデビューさせたマックの売上げが急減したため、自分がスカウトしたジョン・スカリーとの暗闘が始まり、マックチームから外されてしまう。一方で共同創業者スティーブ・ウォズニアックが退社し、マックチームの主要メンバーだったアンディ・ハーツフェルドも去っていく。暗転はさらに続く。スカリーが「当社の経営にスティーブが関与することはありません現在もなければ、今後もありません」とコメントを発表し、ジョブズはアップルを追放されてしまうのだ。そんな時期に言ったのが、この言葉だ。「次々とことが起こるのはやっかいなものだ。そういう時は、自分の価値観、自分にとって本当に大切なもんは何かをよくよく考える必要がある」ジョブズは自分にとって本当に大切なものを模索し始める。スペースシャトルの搭乗員に応募したが、選にもれた。コンサルタントを雇って政界に乗り出す計画もあったが、成功する可能性が低く、見送った。やがて気づいた。原点に戻ればいいのだ。原点に戻ることは、前に進むことなのだ、と。原点は画期的な新製品をつくることであり、一番楽しいのは、有能な人を集めた小さなチームと仕事をすることだ。こうしてネクストを設立した。この決断は正しかった。後年、スタンフォード大学に招かれて行った卒業式記念スピーチで、「アップルからの解雇は私にとって最良のことだった」と述べている。成功者としての重荷から解放され、再び軽やかな初心者となることができたからだ。翌年には、映画監督ジョージ・ルーカスの会社のコンピュータ・グラフィック(CG)アニメ部門だったピクサーも買収し、「人生で最も創造的な時期」に移ることができた。さらに、自分の原点を見つけることができたジョブズは、社員たちにも混乱の中で何をすべきかを的確にアドバイスできるようになっていた。

・その後、互いに非難の応酬をする時期もあったが、ジョブズがアップルに復帰すると、二人は協力し始める。ゲイツを訪問したジョブズが、「ビル、二人を合わせるとデスクトップの100%を押さえている。市場で二人しかいないプレイヤーが協力し合わないなんてばかげている」と切り出したのは有名な逸話だ。合わせて100%は事実だが、その比率はゲイツ97%で、ジョブズは3%にすぎない。ゲイツは「驚かされるよ。売り込みの天才だな」とジョブズを評したと。そういう曲折を経ながらも、二人は共に成功し、富豪になり、共に世界をいい方向に変えた。

・iPadの成功を踏まえつつ、フライはジョブズに引退について尋ねた。「キャリアの絶頂を迎えた今を、自分の引き際にするのですか」「人生をキャリアとして考えたことはない。なすべき仕事を手がけてきただけだよ。なすべき仕事して向き合っているだけだ。それはキャリアと呼べるようなものではない。これは私の人生なんだ」ジョブズはこう答えたという。フライがジョブズの誇り高さに打たれた瞬間だった。

・「すごい製品をつくること」に価値を置いたのがジョブズだった。アップルに入社したジョン・スカリーが最初に感じたのは、社内で「勝つ」という言葉がほとんど聞かれなかったことだ。それまで働いていたペプシコーラでは、「勝つ」以外の言葉はほとんど聞かれなかった。州や地域でシェアを伸ばした武勇伝は頻繁に聞かれるものの、世界に影響力を与えるソフトドリンクを生み出すアイデアが話されることはなかった。一方、アップルでは、人の視点を変えるとか、世界を変えていくという言葉が熱心に語られていたジョブズが、そうした思いをずっと持ち続けていたからだ。「私たちアップルの第一の目標は世界一のパソコンをつくることだ。最も大きな企業になることでも、最も金持ちの企業になることでもない。」もちろん売上を伸ばすことや勝つことを否定しているわけではない。ただ、それらは第一の目標ではない。こう話している。「しばらくの間、そうした目標がアップルではわきに押しやられ、そのちょっとした変化が状況を一変させた」「最も大切な目標は何か」が忘れられ、利益が第1の目標となった途端、企業は力を失う。私たちはアップルになぜか誇り高さを感じるが、その理由はここに発している。

・ジョブズは製品に機能を盛り込むのではなく、不要なものを徹底的にそぎ落とすことでシンプルで使いやすく美しい製品をつくる。だが、時には他社が不要と考えるものも取り入れている。その代表が基準外の漢字の多さや、フォントの種類の多さだ。「簡単な話さ。人々がそうした文字を使うからだよ。もしあなた(日本人記者)が、「寿司レストン」を経営しているとしよう。今(2001年)、ふつうに使われているパソコンでは、あなたは店のメニューもつくれない。寿司ネタを表す漢字が揃っていないからね」普通に使っている文字がパソコンで使えないのではダメである。ところがパソコン業界は、効率を追求するあまり、文字の種類やフォントの種類を標準規格の中に限定しようとする。こうして、普通に使っている文字が使えず、文字も美しくないことになる。ジョブズはこうした動きに逆らい、たくさんの文字やフォントを用意した。「誰にとっても使いやすいパソコンをつくるために、必要なものや機能を取り込んでいくことが私の仕事だ」不要なものは徹底的にそぎ落とすが、必要なものは業界の常識など無視して取り入れていく。そうやって「コンピュータを文化に近づける」のだ。今では信じられないことだが、かつてのパソコンは、ギザギザのひどい字体しか使えなかった。そこに美しい文字を導入したのはアップルが最初だったのだ。

・ジョブズが復帰した当時、アップルにはパソコン以外に40種類もの製品が存在していた。ラインアップも15種類あった。それを知ったジョブズは、社員に「この製品はどんな客が買うのか?」「どうして4400より3400(いずれも型番)を推奨するのか?」と質問した。しかし、答えられる社員は誰一人いなかった。「自分たちの製品を知らずに、どうやって客にすすめるんだい。クレージーだよ」ジョブズは製品をわずか4つに絞り込む。「アップルは技術まで捨てている」という批判もあったが、ジョブズの決意が揺らぐことはなかった。「大きな利点がわかった。すぐれた人材が揃ったチームをすべての製品に投入できるようになったんだ。それに4つしか製品がないから、あわただしく仕事をしなくてもよい。私自身も、すべての製品に注意を払い、助言を与える時間を持てるようになった」すぐれた製品が生まれない理由は、つくり手が自分の製品を愛していないからだ。自社製品を愛さない人間たちが、違いもわからないままに売りつける。これではいくらアップルというすぐれたブランド力があっても、売れるはずがなかった。ジョブズは製品を徹底的に絞り込み、そこにすぐれた人材を投入することで、「開発者の愛の結晶」をつくり上げた。そのかいあって、アップルの業績は急速に回復、黒字基調に乗っただけでなく、かつて「数ヶ月しかもたない」と言われたキャッシュフローも潤沢なものとなった。

・アップルのイノベーションはどうやってもたらされるのか。初期にはジョブズのインスピレーションが大きな役割を果たしたが、現在は社員にあるとジョブズは言う。「イノベーションの出どころは、廊下で出くわしたり、夜の10時半に新しいアイデアが浮かんだからと電話をし合ったりする社員たちだ。これまでにない、いかしたアイデアを思いついたのでみんながどう思うか知りたい、そういう奴が6人の臨時会議を招集することだってある」成長とともに失われるベンチャースピリットを取り戻すのは、社員の熱意なのだ。

・ジョブズは、ピクサーを、多くのすぐれたクリエイターやエンジニアが育つ職場にしたのである。「10年をかけ、クリエイティブな人材とテクニカルな人材を育ててきた。外部から気軽に調達できるものじゃないんだ。即戦力になるような人材なんて存在しない。だから育てるんだ。」そう誇らしげに言っている。

・ジョブズは、iPodに必要なボタンはホイールの周囲にある「進む」「戻る」「ポーズ」の3つだけでいいと考えていた。これはジョブズの美学であり、それ以外はかたくなに認めようとしなかった。ジョブズの意を汲んでiPodから電源ボタンを取り払ったジョン・ルビンシュタインがこう説明している。そのままジョブズの言葉だと考えていいだろう。「こういう分野には「すぐに電源を入れたり切ったりできるのがいい製品だ」みたいな信仰があるけれど、それは間違いだ。いちいち電源を操作するより、いつでもそのままの状態で使えるほうがずっといいに決まっている」その結果、iPodにはいくつかの段階に分かれたスリープモードが組み込まれた。最後に操作されてから経過した時間に応じて徐々に低消費電力モードに切り替わり、最終的には電源がきれるようにした。そのうえで実際に使用する時には軽く触れるだけですぐに操作可能な状態に復帰できるようにした。最初はこの仕組みに混乱するユーザーもいたが、今ではいないだろう。それどころか、同様のシステムを組み込んだパソコンなどもよく見かける。最初は戸惑うが、使っていくうちに便利さがわかり、ついには常識になっていく。それがジョブズのものづくりの特徴でもある。

・「アップルが勝つためにはマイクロソフトが負けなければならない(相手を負かす)という考えはそろそろ捨てるべきだ。アップルが勝つためには、自分たちアップルがいい仕事をしなければならないのだ」2010年、アップルの時価総額は2221億ドルに達し、マイクロソフトを抜いた。ジョブズは社員に「感慨深い日だ」というメールを送ったが、締めの言葉は「さあ、それじゃあ、いいからさっさと仕事に戻ろう」というあっさりしたものだったという。

・プレゼンのリハーサルでは、ある社員が、ジョブズに「お前の説明はまったくなっていない。直せ。できないなら外す」と面罵されている。ショックを受けながらも従ったところ、素晴らしいプレゼンができた。その社員は、はじめてジョブズの正しさがわかったと言い、こう続けた。「はたから見れば、彼は個人的につらく当たっているように見えるだろう。でも実は私の能力を引き上げてくれたんだ」ジョブズは、自分が「こうあるべき」と考える完璧さを極限まで追求する。そのため、周囲の人間は、「なぜここまで?」と理解不可能なとこおまで追い込まれてしまう。時には嫌気がさす。ところが、それに耐えると、見たことも経験したこともないものを生み出すことができるのだ。その激変のマジックの理由を説明したのが、この言葉だ。「自分が、質を測るものさしにならなければならない。卓越さが求められている場に慣れていない人もいるのだから」この「卓越さ」は、限界を上回る、と言い換えていい。ネクスト時代から活躍し、iPod開発でも重要な役割を果たした技術者ジョン・ルビンシュタインは、「ジョブズはいつも僕のハードルを上げてくれる」と言っている。ジョブズが無理な指示を出す。ルビンシュタインができない理由を説明する。ジョブズが「言いたいことはわかった。でも、僕のために頑張ってくれないか」と決めゼリフを言う。その結果、自分一人では絶対にやれなかったことができてしまうのだという。ジョブズは、人がすぐれた仕事をできないのは、本気で頑張りを期待されていないからにすぎないと考える。期待し、背中を押せば人は期待以上、身の丈以上に動くのだ。その時、人は自分のものさしにしている。

・パソコンの騒音発生源は冷却ファンだ。ブーンという音は集中の妨げになる。かつて熱中した日本の禅から静寂の大切さを知っていたジョブズは、ファンを使わないパソコンをつくろうとした。実現には熱の発生の少ない電源の開発が必要だが、ウォズニアックは無関心だった。彼にとって電源装置は部品店で買ってくるものであり、少々音がしてもかまわなかった。それが当時の普通の感覚だった。ジョブズはあきらめず、エンジニアを求めて、若い頃に働いていたアタリ社に行く。そこで出会ったロッド・ホルトという有能なエンジニアに大金を払い、言葉巧みに奮起させて、数週間で電源を開発させた。こうして、ファンレスを実現すると同時に、コンピュータケースも小型化させた。それがアップルⅡの大ヒットの一因ともなったのだ。こだわりは、アップルⅡから20年を経たiMacの開発でも一貫していた。iMacはスタイリッシュなデザインや斬新なスケルトンカラーなどで大ヒットしたが、その最新型の開発でも、冷却ファンをなくすことに執念を燃やしている。こう言っている。「冷却ファンをなくすことが至上命令だった。ブーンという騒音のしないコンピュータで仕事をするほうがずっと快適だと思ったんだ。そのためには相当な技術力が必要だった」「相当な技術力が必要だった」にもかかわらず静かさに執着するのは、ユーザーはそういう細部こそ評価すると信じているからである。人はとかく「できるかどうか」で発想し、できなければあきらめがちだ。しかし、ジョブズは「必要かどうか」で発想する。そして、できなければできるまでやる。そこから、ユーザーが「これこそほしかったものだ」と歓喜する製品が生まれてくるのだ。iMacからiPhone、iPod、iPadをデザインして「アップルのアルマーニ」と呼ばれるデザイナー、ジョナサン・アイブは、アップルの仕事の特徴は、どんなこまかい点にも目を向けることだと言った。こう続けている。「それは大量生産というよりも手技に近いと言われます。でも、それはとても大切だと思うんです」「快適だと思ったんだ」という主観的な表現は、客観的に進めるべき仕事も、究極的には個人の「心」が反映すると言っているのではないだろうか。

・アップルとピクサーは、サンフランシスコ湾をはさんで対岸にある。単独でも激務なのに、両社のCEOとして采配を振るい、しかも驚異的な業績をもたらしたジョブズは、朝型人間だという。朝6時に起床、子供たちが起き出すまで1時間半から2時間、仕事をする。軽い朝食をとって学校に送り出したあと、仕事を続ける場合もあるが、普段はそのまま出社して、だいたい8時か9時頃にはアップルに着いている。二つの会社の現状を把握し、企画書を読み、メールのやりとりが続く。タイム誌の取材では、1999年夏のある日、ジョブズは午前中に25通のメールを処理し、ピクサー関連の件で電話を10回すると、午後から夕方までアップルに関するメールに100通の返事を送り返したという。生きることが命をつなぐことであるように、仕事も努力をつなぐことなのだ。2004年、スタンフォード大学の卒業式スピーチでジョブズは、実社会に旅立つ学生たちに続けることの大切さを訴えた。「これと思える仕事を見つけなくてはいけない。それがまだなら、探し続けなくてはならない。妥協はだめだ。ほどほどで手を打ってはいけない」

<目次>

まえがき
スティーブ・ジョブズ略歴
1章 仏教には初心という教えがある-人生の展開
 1 仏教には「初心」という教えがある。
 2 宇宙に存在するものなら自らの手で生み出すことができる。
 3 手がけているのはこれまでなかったものだ。やっていることは偉業にほかならない。
 4 心の底から思い込め。でなければやり遂げるかいがない。
 5 我慢することだ。
 6 献身しているのは技術とか革新ではなく、生き方を変えるようなことだ。
 7 生がもたらした発明の中でも、死ほどすばらしいものはない。
 8 日々を最後の日として生きよ。その日は誤ることなくやってくる。
 9 アップルは、うずうずしている人間を雇うのだ。
2章 今日は素敵なことができたと思いながら眠れ-人生の充実
 10 親になると世界が変わる。自分の内側にあるスイッチが切り替わったみたいだ。
 11 育ちに重きを置いていたが、生まれに重きを置くようになった。
 12 テクノロジーがなくても素晴らしい人間は育てることができる。
 13 今日は素敵なことができたと思いながら眠りにつくこと。それが一番だ。
 14 もしこれが地球で過ごす最後の夜だったら?
 15 今やるべきなんだ。
 16 これで世界が変わるわけじゃない。変わらないんだ。
3章 毎日18時間働いた。それを楽しんでいた-人生と闘志
 17 恨みに駆られてたくらんだと思われたくなかった。
 18 僕はきっと戻ってくる。
 19 毎日18時間働いた。みんなそれを楽しんでいた。
 20 対策を打たない限り、行き着く先は、死だ。
 21 何かを捨てないと前に進めない。
 22 大切なのは、明日、何が起きるかだ。
 23 ある日、独占が終わる。
 24 自分の価値観を信じるんだ。
 25 世界一ラッキーだと思う。
4章 目標は金持ちになることではなかった-人生と誇り
 26 なすべき仕事を手がけてきただけだ。
 27 目標は最も大きくなることでも、最も金持ちになることでもない。
 28 誰にとっても使いやすい。それが私の仕事だ。
 29 それが生きがいなんだ。人生のほとんどを賭けてきた。
 30 できない規模の事業に取り組んでいく。
 31 イノベーションの出どころは、夜の10時半にアイデアが浮かんだと電話をし合う社員たちだ。
 32 外部から気楽に調達できるものじゃないんだ。だから育てるんだ。
5章 最初の電話のような可能性をつくる-人生と創造
 33 操作が簡単なほうがいいという信仰は間違いだ。いちいち操作するより、そのまま使えるほうがずっといい。
 34 相手を負かすのでhない。勝つためには自分がいい仕事をしなければならない。
 35 いわば「最初の電話」のような可能性をつくりたい。
 36 私たちは自己イノベーションによって不況から脱する。
 37 これは市場が求めているものではなかった。
 38 苦しい時こそ、自分にとって何が価値を持つかがわかるんだ。
 39 いい兆候だ。危うさの向こうにひと山ありそうなのに、誰も手を出していない。
 40 業界標準をつくり出す。
6章 探し続けろ。妥協はだめだ-人生と確信
 41 僕は、自分が何を求めているか知っている。
 42 自分がものさしにならなければならない。
 43 快適だと思ったんだ。
 44 才能を十二分に発揮しろ。
 45 僕ならできる。
 46 僕が生命を与え、収穫する。
 47 探し続けなくてはならない。妥協はだめだ。
参考文献

面白かった本まとめ(2013年上半期)

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