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「ナリワイをつくる(伊藤洋志)」という本はとてもオススメ!

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 「ナリワイをつくる」という本は、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、働くことと生活の充実が一致し心身ともに健康になる仕事を個人レベルでいくつか持とうということが趣旨で、具体的にそのナリワイの例やその内容について分かりやすく説明したものです。

 「ナリワイ」とは、個人レベルで始められて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やればやるほど頭と体が鍛えられ、技が身に付く仕事のことで、これからの時代は一人がナリワイを3個以上持っていると面白いようです。

 本書は人類の性質に合った健康的な仕事を再構築しようと試みていて、素晴らしいなぁと思いましたね。

 著者はこの本を出版した後、このブログでも紹介しましたが「フルサトをつくる」という本も出版していますので、合わせて読むことをオススメします!

「ナリワイをつくる」という本はとてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・ナリワイとは、生活の充実から仕事を生み出す手法である。作戦としては、守りを固めてから攻めるのが、基本である。どういうことかというと、何よりもまず、支出をコントロールし、無駄な支出を減らす。支出を減らすことで、むしろ生活が豊かになるような工夫を考えて減らす。さらに、もしものときには月3万円程度の収入でも暮らしていけるような生活場所を見つけて、非常時にはそこに動ける態勢を用意しておく。つまらん支出を見つけてはカットするという生活をしていると、世の中にある大規模な事業に対して矛盾を見つける感覚が磨かれていく。矛盾を見つけたら、その原因はだいたい専業で株式会社的に行っていることにあから、事業ではない立場ならではの本質的に中身のあるサービスを提示していく。たとえて言うなら、森の人のような生活だ。普段は森の近くで静かに暮らし、果樹を植えたり、山へ芝刈りに行き、ついでにキノコが取れる場所を把握しておいたり、日々過剰な労働をしなくても、快適な住居や食べ物は手に入るという生きるための環境を整えておく。ついでにツリーハウスを造って遊んでもいい。それだけも十分痛快な生き方だが、たまに都会に出ていって、山の幸を提供して一稼ぎしてくる。イメージとしては、そのような感じだろうか。まずは、自分の生活を面白くするところからがスタートだ。

・ナリワイのいいいところは、生活と一体化しているから、自分の生活コストも激減させることができるところだ。例えば生活の基本である「住」。もっとも基礎的なものでありながら、今では3000万円以上する住宅が標準だ。東京都心で家を借りれば、一人暮らしでも毎月8万円ぐらいかかる。失業していても容赦なくかかる費用だから、うっかり半年仕事ができないと、それだけで48万円が消える。1年なら96万円だ。家賃だけで、である。一年ぐらい将来を考えながらゆっくりしたいと思ったら、少なくとも100万円以上は貯めないといけない。これでは何かと身動きが取りにくい状況だ。ナリワイ的生活を送るにあたって、この支出は見逃せない。だが、そもそも住宅はそんなにハイコストなものだったのだろうか。実はそんなことはない。今でこそ専門家に独占されて素人の入り込む余地がないように思えるが、住宅は誰でも自力で建てられるものだった。

・ナリワイの考え方の真髄の一つは、稼がなきゃ稼がなきゃと外部の環境に振り回されるより、自分の生活をつくる能力を磨き、それをちょっと仕事にしてしまうほうが確実ではないか、ということなのである。ちなみに、自力で家を建てたり改修したりする文化は、世界的に見ればそんなに珍しいことではない。私が見聞で確認しただけで、モンゴル、デンマーク、インドネシア、沖縄の一部では、一軒家なら自分で建てることも多いらしい。

・100の仕事を持つという意味の百姓という言葉があるように、もともと大多数の日本人は一つの仕事じゃなくて複数の仕事を持っていた。村では、農業はもちろん、石垣をつくれる石屋、藍染をする紺屋、大工、陶工、野鍛冶屋など、多様な仕事を各自が受け持っていたし、春だけ養蜂をやる、冬は藁細工をつくる、杜氏になって酒蔵に出稼ぎする、といった具合に、一人がいくつもの仕事を持つことは当たり前のことだった。「私は不器用なので一つのことしかできない」という声をたまに聞くが、それは向き不向きの問題ではない。昔の人たちの生活で、一つのことだけやって済んでいた人がきわめて特殊であったことからも分かる。ようは慣れの問題であるということだ。日本の働き方・暮らし方は、そもそもこんな感じで、複数の仕事を組み合わせて営まれていたものだった。ところが、わずか50年ちょっと前の1954年に始まった高度経済成長期でふっとんだ。

・大正時代の調査によれば当時の職業が約3万5000職種もあったのに、現在の厚生労働省の「日本標準職業分類」によれば、いまや2167職種だけというから、いかに多様な種類の職業があったのを減らして絞り込んだかが分かる。成功した部分も多いが、いきなり多様性を激減させれば、矛盾も大きくなる。過労死、派遣切り、ニート問題、と現代日本の働くこと・暮らすことについての矛盾は顕在化してきている。

・「ナリワイをつくる」ということは、この歴史を踏まえて、人類の性質に合った健康的な仕事を再構築しようという試みでもある。面白いことに、ここ数年で個人が仕事をつくるためのインフラがウェブサービスの分野を中心にできつつある。「Airbub」(自分の住居や別荘・空き部屋を貸し出すことができるサイト)、「Etsy」(手づくり品を世界に向けて販売できるサイト)など、個人が少ない元手で自分のナリワイをつくることができるプラットフォームが次々に定着しつつある。

・特に家を建てる技術についえは、日本は深刻である。どういうわけか建設分野が巨大産業になってしまったために、家を建てるということは非常にお金がかかり、素人には手が出せないように思われる分野になってしまった。しかし、海外に目を向ければ、ふつうの人が自分で家を建てるのが一般的という地域は多い。私が実際に見聞きしただけでもモンゴル、デンマーク、インドネシア、沖縄の一部などだが、面積からすると多数派かもしれない。この点は重要なので何回も言いたいのだが、自分の住処を自分でつくることは誰にでも可能である。

・よく田舎暮らしセミナーなどに行くと、行政職員や移住支援団体の人たちが「田舎には雇用がない」、「田舎暮らしは人付き合いが大変」、「毎月20万円はかかるから貯金は最低でも300万円」などと脅してくるが、実際に都市で働いてから田舎に移住して暮らし、子供を育てている人たちに聞き取りをすると、「親切な人は親切」、「やり方を工夫すれば毎月3万円以内でもいける」、「定期雇用は少ないが、頼まれる仕事はたくさんあって受け切れないほど」、「家庭教師をやれる若者がいたら貴重」、「野菜とお米は自給するのは難しくない」、「生活のランニングコストが低いからじっくり事業に取り組める」と教えてくれる。「社会人とは組織に所属すること」、「仕事は専業でなければならない」という既存の考え方に捉われて、そのままのベクトルで努力すると、1000万円単位で借金して栽培システムを買って、何年もかけて償却する、というものすごい苦労が待っているが、一旦引いて状況を見てみれば、それが自分にとって必要な努力なのか不必要な努力なのか見極められるはずだ。その判断によって、全く苦労の次元が違ってくる。ナリワイ的におすすめなのはもちろん、借金しないで自分が自給する程度の野菜や穀物をつくる、余れば売る、という作戦である。これはそんなに難しくないし、色んな野菜の育ち方を観察できて面白い。

・ちなみに家を建てるには一人よりも二人のほうが能率は倍以上、1+1=2ではなく、3にも4にもなる。二人のうち一人がまったくの素人でもである。一人でやっていると道具を取りに行ったりきたりしないといけなかったり、木材を切るときに動かないように押さえてもらえないから何かと時間がかかる。人は一人では生きられない、というのはナリワイから得られる教訓でもある。

・現在、多くの企業が社員を囲い込み、なるべく意識を会社に独占したいので、副業を禁止しているが、むしろ副業を認めてナリワイ実践者、つまり一度でも自力で仕事をつくり運営した経験のある人が増えたほうが、会社の経営にはいい効果があるという可能性が高い。「そんなことしたらせっかく育てた人材が流出してしまう」と恐れる向きもあるかもしれないが、そのときは会社7割、ナリワイ3割とか適宜調整して事業に参加してもらえるような仕組みを整えればよい。そこが経営者の腕の見せ所であり、今後はそのような余白をつくれない企業は疲弊していくのではないだろうか。

・ナリワイ10か条
 1 やると自分の生活が充実する
 2 お客さんをサービスに依存させない
 3 自力で考え、生活をつくれる人を増やす
 4 個人ではじめられる
 5 家賃などの固定費に追われないほうがよい
 6 提供する人、される人が仲良くなれる
 7 専業じゃないことで、専業より本質的なことができる
 8 実感が持てる
 9 がんばって売り上げを増やさない
10 自分自身が熱望するものをつくる

・恐怖を危機感に変える方法は、一定期間家計簿を付けて支出の感触を身につけたり、日々つまらん支出を書き出して削減したり、そもそも1週間ぐらいお金を使わない環境に行ってみる、とか、やり方は人それぞれである。ちなみに私は、日当たりの良い寝床があり、温泉に入れて、いい食事ができればあとはお金をかけなくてもなんとかできるので、この3つを満たすための生活のコストをきちんと調べて金額として把握している。最低限それだけ稼ぐことができるナリワイをつくれる訓練しておけばよいので、非常に安心感がある。おそらく一人で暮らすならば、ナリワイが2つ程度あれば最低限としては十分だと思う。子供を育てるとなれば、夫婦でナリワイ4~5つぐらいでとりあえずは十分であろう。

・何が何でもその道一本のハイ・リスク、ハイ・リターンばかりじゃなくて、ロー・リスク、ロー・リターンで、徐々に育てていくという選択肢が現代社会においてはあまりにも見えにくい、ということである。自分で窯をつくって週末だけ妥協なき素材でパンを焼いてお裾分けする、というナリワイは、現代人の視野にはなかなか入りにくいのだ。起業雑誌も、そんな選択肢はあまり触れてくれず、もっぱらコンビニフランチャイズのオーナーを推奨してくださることが多い。なんとかならないのか。そこを考えなければいけない。

・これまで節約、節約と言っているように聞こえたかもしれないが。私は逆に、少ない元手で何かを行うことのほうがむしろ尊敬すべき対象で、楽しいことだということを申し上げたい。「昆虫記」を書いたファーブルが尊敬すべき人物であるということに異論のある人は少ないと思うが、彼がやったのは自然をひたすら観察し、苦労の末に本を出版した、ということだこれはめちゃくちゃローコストである。昨今のやたら巨大なプロジェクト予算を獲得して大がかりにやる研究とは違う。千利休も、放っておくとやたらでかい建物を造りたがる人間の性質を乗り超えて、わざわざ小さい小屋や茶器にお城並みの価値をつくりだした。これも度肝を抜かれるほど地球的にローコストである。皆がみんな競ってビルやタワーを建てまくったら、資源が無駄だし、ゴミを捨てる場所がなくなる。お花を生ける行為も、自然にある植物に手を加えるだけで価値を見いだすという意味で、びっくりのローコストである。

・バス停や銭湯を基点に家を探す、ということからも家賃をカットすることができる。東京では駅から近い物件は軒並み高いが、実はバスも本数が多い路線もある。バス停の目の前の物件を狙ってみるのも、便利なまま家賃を安くする技の一つだ。また、広くてきれいだけどお風呂がない物件を狙いつつ、いい銭湯の近くに住むのも面白い。家賃は下がるし、風呂掃除の手間は省け、銭湯代も水道ガス代を考えれば十分元はとれる。なにより毎日、個人では持ち得ない広い風呂に入れる。これも安くなる上に快適になる好例だろう。ちょっと高い家賃を払ったところで狭い風呂しかないのであれば、ないほうがいい。ちなみに、銭湯はアパートやマンションと一体化しているところも実はあって、そういうところも狙い目である。

・お金が余っていても、それだけだとなくなる恐怖に打ち勝てる人は少ない。貯金が0円で、収入が10万円、支出が5万円で、毎月5万円貯まるという田舎暮らし生活をしている人と、貯金は2千万円あるが、自力収入が0円で、毎月5万円減っていく人ではどっちが精神的に余裕があるかと言うと、やはり前者であろう。「守銭奴」という言葉はよく言ったもので、お金に関しては人は守りに入るときついのだ。常に攻めなくてもいいが、完全自給自足という絶対防御がない以上、いつでも攻めに転じられるようにしておくことが心の余裕を生む。たとえ年収が1千万円あっても、生活レベルを無意味に上げすぎると、平均値より多く稼いでいるのに生活に余裕がない、というケースが散見される。これも支出をコントロールできていないことが原因だ。生活の余裕とは、収入の多寡よりもむしろ、支出のコントロールができるかどうかが大きい。

・私自身は最初にこの作業を行ったのは、高校を卒業して、一年間の浪人生活が終わる頃だ。破ったノートの表紙の厚紙の裏側に、ありったけの大学時代に取り組みたいこおを書き連ねた。一部は実現したし、全然やっていないものもあるが、書いてみると、「そうかーこういうことを自分は考えているのか」ということを再確認できる。確認できると、そこに書いたことを実現するのに関連しそうな情報を、勝手に頭が集めるようになる。これをやっている人は、大学生活で偶然出会った人が自分がやりたいことについて情報を知ってそうだと直感したら、すぐに聞くことだろう。外れるかもしれないが、何かしらの行動につながる。漫然と時間が過ぎがちな現代社会において、自分なりの未来を見ておくことは、よい鍛錬になる。

・最初はなるべく前向きな意見をくれる人に会うようにしたい。何に対しても否定的な意見を言う人はけっこういる。実績ゼロの段階で、ボコボコに否定的な意見を言う人に出くわすと、あっさり心が折れる。これ、うまく行くかな・・・と思っている段階で「そんなの売れる訳ないじゃん!」、「意味あるの?」、「○○が起きたらどうするの?」、「俺はそんなものにお金は払わない」などと言われてしょんぼりしない人は、神クラスのナリワイマスターである。ちなみに「私は買わない」、「高すぎる」としか言わない人の多くは、あなたのナリワイ自体に興味がないことが多い。いくらでも高いというので参考にしても仕方がない。自分のボルテージは丁寧に扱う必要がある。お金よりもやる気の方が現代では貴重な財産である。それは、だめな公共事業を見ていればよく分かる。いくらお金があっても、やる気がない人たちが集まったプロジェクトは役に立たない。

・私が知るナリワイ実践者の先達の一人は、たまたま通りがかって住もうと思ったある山の集落で、まずは自分のやれることをイラストを添えて手書きで書いた手のひらサイズのチラシを配って、何でも屋をやったところ、草刈り、電気メーターの検針、大工仕事、農作業など色々な仕事を頼まれて、それで一年間暮らすのには十分な収入を確保することができたという。田舎では仕事がない、という常識も、たった一枚のチラシで打ち破ることができた一例である。場所にもよるが、体を動かせる若い人がいない場所では、体を動かしてやる作業を頼みたい人はたくさんおり、仕事はけっこうあったりする。

・これまで見てきたナリワイ的生活は、色んな小さい仕事をつくって組み合わせることで暮らし方をデザインする、ということだが、おそらく世間の常識では、まだまだリスクが高くてチャレンジャーな生き方に見えることと思われる。しかし、ここで専業と複業(兼業)の違いについて考えてみると、実は専業の方がかなりハイリスクな生き方ではないか、ということがわかる。現代のように変化の激しい時代だと、景気の変動や技術革新などで、ある仕事が根こそぎなくなったり激減したりすることはままある。景気の変動で言えば、2008年のリーマンショックで頓挫した会社も多かったし、様々な分野に影響を及ぼした。専業をしていると、このような突発的なアクシデントに対応することが難しい。また、業界全体が沈んでしまうということも、今後十分起こりうる。こうなると個々人の努力ではどうにも対処しきれない。

・専業というのは、単一作物に依存した農家と同じである。作物相場が下落すれば影響をもろに受けるし、不作になれば自分の食料確保もままならない、と不安定なものになってしまう。しかも、毎日毎日同じ作物ばかり見ていたらつまらないではないか。やっぱり、お米もつくりたいし、小麦もカボチャも育てて、たまに釣りもできたほうが楽しい。モンゴルでも、同様の現象がある。本来は遊牧民は、ヤギ・羊・牛・馬・ラクダと5種類の家畜をうまく組み合わせて飼う。これが、遊牧民の生活の醍醐味であり、技であった。

・床張りを一人で修業してもいいが、ここで「床張り特訓講座」を企画するのである。これを、ちょうどいい人数で開催する。多すぎても訳が分からんし、少ないと先生を呼ぶのがもったいない。ちょうどいい人数でやると、やる気も持続しやすい。なにより覚えが早い人が、他の人に教えることができる。何かを身につけるにあたって、何がよいかというと、よい先生も必要だが、一緒に習う人同士で教え合う、というのが最後には一番威力を発揮する。教える側もいい勉強になるし、教えられる側もさっきまでできなかった人の意見が一番身近で、役に立つ。あまりにも達人になると、初心者の頃をすっかり忘れてしまっていて、どこが教えどころか分からなくなってしまう。そういう意味でも、仲間で技能を覚える、というのは意味がある。

・生き物には生き物、ネズミに対抗するにはズバリ猫を預かることです。ほんとうは飼えればいいのですが、そこまでできなくても、一週間ぐらい預かれば、猫の気配にびびってか、ネズミが出てこなくなります。ただし、旅館のような大きい建物では一匹の猫では不十分らしく、別途増員するなどの対策が必要とのこと。地味に効果的なのは、えさになるような食べ物のくずを残さないことです。

・「田舎には仕事がない問題」をなんとかしたい、と思い、田舎での仕事について考え始めたのが9年前の2003年、23歳のときであった。ところが、実際に田舎に行ったりしていると、思いのほか自分の力で仕事をつくり、暮らしをつくっている人がちらほらいることに気がついた。これはいったい何なのか?彼らは民宿やら、何でも屋やら、自給のための農業、仕事のための農業、NPO的な活動、など色々なことをして生計を立てていた。田舎では、雇用によって生計を立てるのではんく、様々な小さな仕事、すなわちナリワイをつくり出して生計を立てていることが結構あるのである。こう聞くと、一見フリーターのように聞こえるが、各自の生活能力は高く、家の簡単な補修もできる人も多く、すごい人は自力で家を建てて、自分のナリワイの一つにしている。ちなみに、このような暮らしを紹介してくれる窓口は行政にはあまりない。雑種すぎて、カテゴリー化できないので、紹介できないのである。行政が把握できるのは、あくまで雇用や業種だけで、暮らし方までは把握できない。

・ちなみに私の趣味の一つで、「会社勤めでいっぱいいっぱいだけど、何かやりたそうな人」を見つけて、その人のナリワイをつくる、というのもある。一人でできない人は、私のような人を見つけてもいいかもしれない。「会社勤めしながらもできる」と書いたが、日常に埋没すると実行できないであっと言う間に一年が終わった、ということが頻発するというのもまた事実なので、3~4人ぐらいでチームを組むのもよい。「西遊記」は4人チームだったが、漫画によれば忍者は3人一組がいいらしい。何人かでやる主な目的は、やる気を維持して実行できるようにするためなので、ミーティングは必須だが、人数が多い方がよいという分野でなければ、せいぜい2~3人程度がいいと思う。人が多いと、ミーティングの日程調整だけでえらいことになる。

良かった本まとめ(2014年下半期)

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