前回の「①富岡八幡宮~えんま堂編」の続きとなります♪
そして仙台堀川を渡ります♪
↑仙台堀川
仙台と名がついている通り、仙台の伊達家がこの堀を造ったから仙台堀川と呼ばれたようです。
またその伊達家の下屋敷もこの仙台堀川の上流にあったようです。
ちなみに大名には上屋敷だけでなく中屋敷、下屋敷もありましたが、上屋敷とは江戸城近くにあり、元々幕府から与えられた土地とのことです。
中屋敷は上屋敷から離れたところにあり、江戸は火事が多かったことから、上屋敷が焼けた際に中屋敷で住んでいたようです。
下屋敷は隅田川や海岸近くにあり、主に地元から運んだものを保管していたようです。
当時は船が大量に物資を運べたので、川や海岸沿いに下屋敷を建て、すぐに船から運び入れることができるようにしたとのことです。
なるほど♪
ちなみに松尾芭蕉は、この仙台堀川をこの写真の先の隅田川方面へ船で行き、それから隅田川上流の千住大橋まで行って、それから東北の奥の細道へ歩いて進んだとのことでした♪
それから途中に滝沢馬琴誕生の地の説明がありました♪
この辺りに下級武士の五男として生まれたようです。
南総里見八犬伝が有名ですね♪
実際に滝沢馬琴が創作した著書を積み上げたものがありましたが、かなりの量ですね♪
すごい!
↑滝沢馬琴誕生の地の説明
↑滝沢馬琴の著書を積み上げたもの等
そして紀伊国屋文左衛門の碑と墓がありました♪
江戸でみかんが不足して高騰していた際に、今の和歌山県の紀伊から嵐の中を船でみかんを運んでボロ儲けしたということで有名です。
その後は吉原で豪遊したり、富岡八幡宮が大火で消失した際には建立費用を寄進したり、総金張りの御輿三基を奉納したりもしたようです。
この深川で材木問屋をやって、明暦の大火の際もかなり儲けたようですね。
↑紀伊国屋文左衛門の碑と左側に墓
それから深川江戸資料館へ行きました♪
↑深川江戸資料館
その入口には東京都交通局とトリップアドバイザーによる東京の人気スポット「TOKYO100」で深川江戸資料館が52位に選ばれましたと案内がありました♪
そんなに人気なんですね♪
100位まで見てみると結構行っていますが、まだ行ったことがない場所にはこれからぜひ行きたいですね♪
↑東京都交通局とトリップアドバイザーによる東京の人気スポット「TOKYO100」
その深川江戸資料館ですが、江戸の町並み再現が本格的でリアルでとても驚きました♪
江戸時代末(天保年間)の深川佐賀町(隅田川近く)の町並みを実物大で再現したものとのことです。
しかも、夜や昼等の一日の移り変わりを音と光で演出し、季節ごとに展示内容を替えているとは素晴らしいですね♪
確かに春だったので、屋根に菖蒲?の緑が挟まれていましたね♪
長屋の屋根の上の猫もニャーっと鳴いて響いていました^_^;)
↑江戸の町並みの夜と猫
↑江戸の町並みの昼と猫
↑江戸の町並みを歩く
↑八百屋
↑大木戸
町の入口には大木戸があり、門限があったようです♪
↑猪牙舟
猪牙舟(ちょきぶね)は高速船ですね。
これで深川や吉原の花街へ行ったようです。
猪牙舟は横揺れしやすかったようですが、粋な乗客は手を使わずにバランスを取っていたようで、それが格好良かったようです^_^;)
↑天ぷら屋
当時の天ぷらは食べて見たかったですね♪
↑28そば屋
それから江戸時代を通じて「かけそば」や「もりそば」はインフレにも関わらず16文だったようです♪
小麦粉等とそば粉の割合が2割と8割で28(にはち)蕎麦と呼ばれ、2×8=16なので16文だったようです^_^;)
ガイドさんが当時の食べ物の立売りの値段を説明してくれましたが、寿司は卵や刺身、コハダは8文で、天ぷらは4文、天ぷらそばは倍の32文、いなり寿司は6もん、ウナギ1串12~16文だったようです。
当時の寿司はシャリやネタはかなり大きかったようです。
↑江戸時代の立売りの値段
それから、企画展示室では歌舞伎がテーマだったようです♪
↑歌舞伎ゆかりのある深川の地
↑歌舞伎ゆかりの地一覧
↑深川を描いた歌舞伎演目
それから、大相撲と江東関連マップもありましたね♪
↑大相撲と江東関連マップ
↑大相撲と江東関連マップ
次回は「③霊厳寺~清澄庭園編」です♪
<今日の独り言>
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