岐阜県高山市の飛騨高山へ観光に行った際に高山市政記念館へ寄ってみたので紹介したいと思います♪
という旅行ガイドブックに掲載されていためです♪
場所はJR高山駅から東方向へ、高山陣屋から赤い橋で有名な中橋を通って宮川を渡り右側にあります。
「料亭洲さき」の隣となります。
↑入口
入口には、明治28年建 旧高山町役場 入館無料と書かれていますね♪
そして建物の特徴などが書かれています♪
↑建物の特徴
この高山市政記念館とは、高山市政50周年を記念として復元修理を行い、明治維新後の行政資料を収蔵し、展示閲覧する目的で昭和61年に開館したものとのことです。
敷地面積は218坪で、明治28年当時の本館の建築費用は3,719円1銭6厘だったとは興味深いですね。
その説明などがありました。
↑年表
そして高山城下町の説明がありましたね♪
1585年(天正13年)に豊臣秀吉の命により金森長近が飛騨国へ侵攻し、三木自綱を滅ぼして飛騨国主となり、1586年(天正14年)から高山城下町が形成されたようです。
金森氏の治世は天正14年から元禄5年までの107年続き、その後は幕府の直轄地だったようです。
元禄8年には天下の名城といわれた高山城が取り壊されて公演となり、武家屋敷も畑地にされて町人に払い下げられ、金森市の下屋敷は現在の高山陣屋として残ったようです。
↑高山城下町の説明
展示室には色んなものが展示されていて、PC9801等の古いパソコンも展示されているのには驚きましたね♪
↑展示室
↑展示室
高山市全域の航空写真もありました♪
高山市は山に囲まれていますね。
↑高山市全域の航空写真
それから江戸時代からの人口や世帯数の移り変わりも興味深いですが、最近増えているのは合併の影響でしょう。
↑人口や世帯の移り変わり等
そして興味深かったのは第二次世界大戦時の米軍の爆撃予告ビラですね。
機関銃製造の鈴鹿工廠は高山へ疎開していたようで、そのためか高山に爆撃予告ビラが昭和20年8月2日の夜9時半くらいに飛行機から撒かれたようです。
↑高山に爆撃予告ビラの説明
確かにそのビラには軍事施設や軍需品を製造する工場が目標と書かれています。
なお句読点がないのは興味深いですね。
↑ビラの文章
そしてその爆撃予告は高山だけでなく、佐賀、八幡、都城、今治、鳥取、岩国、浦和、福島、八戸、秋田、小樽とあり、実際には8月5日に佐賀・今治、8月8日に八幡に空襲があったようです。
↑爆撃予告の都市
高山市政記念館は、江戸時代からの高山の歴史について学べ、しかも入館無料ですのでとてもオススメです!
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