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常識として知っておきたい世界の三大宗教

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 この本は、仏教・キリスト教・イスラム教についてそれぞれ分かりやすく解説した本です。

実はキリスト教とイスラム教の神は同じということ、旧約聖書と新約聖書の中身、日本の仏教のそれぞれの教えなどについて興味深く読めました。

 宗教について疎い日本人にとっては、3大宗教を比較して理解でき、この本はとてもよいと思います。とてもオススメです!!
以下はこの本のポイント等です。

・<仏教>
 開祖:ブッダ(仏陀、釈迦)
 聖典:仏教経典
 教義:三法印、四聖諦、八正道
 聖職者:僧
 象徴:仏像
 崇拝対象:諸仏
 宗教施設:寺院
 戒律:五戒など
 宗教人口:約4億人
 聖地:ブッダガヤなど
 発祥年:紀元前6~5世紀

 <キリスト教>
 開祖:イエス・キリスト
 聖典:聖書
 教義:三位一体
 聖職者:神父、牧師
 象徴:十字架、イコンなど
 崇拝対象:ヤハウェ(一神)
 宗教施設:教会
 戒律:十戒など
 宗教人口:約20億人
 聖地:エルサレムなど
 発祥年:紀元0年頃

 <イスラム教>
 開祖:ムハンマド(マホメット)
 聖典:コーラン
 教義:六信五行
 聖職者:ウラマー
 象徴:なし
 崇拝対象:アッラー(一神)
 宗教施設:モスク(マスジド)
 戒律:五位行
 宗教人口:約12億人
 聖地:メッカ、メディナ
 発祥年:610年

・ブリタニカ国際年鑑2003年によると、キリスト教の全世界割合は32.9%、イスラム教は19.9%、仏教は5.9%。なおヒンズー教が13.3%。

・悟りを開いたブッダは、自分の考えを広めようと、布教活動に乗り出した。はじめて説法したのは、ブッダガヤに近いサルナートという場所。そのほか有名なのが、コーサラ国の大金持ちであるスダッタから贈られた「祇園精舎」という広大な園林。ブッダは、この祇園精舎を気に入り、大勢の弟子たちを連れてきては説法したという。

・キリスト教には「聖書」、イスラム教には「コーラン」と、聖典はひとつしかない。ところが、仏教には、現在まで伝えられている仏典が、じつに3000以上もある。葬式などで耳にする「般若心経」や「法華経」は、そのひとつということになるが、これだけ多くの仏典に分かれたのは、ブッダの教えが全部で84,000もあったからだという。生前のブッダは、自分の考えを弟子たちに話して聞かせたが、相手の理解力に合わせて話し方や言葉を変えていた。そのため、ブッダの教えは膨大な数になり、ブッダの死後、弟子たちが教えを研究するようになると、その解釈をめぐって対立が生じるようになった。ブッダの話は、生前、文字として一切記録されてはいなかった。

・聖書は、旧約聖書と新約聖書の二部構成になっているが、このうち、先に書かれた旧約聖書は、アダムとイブ、バベルの塔、ノアの箱舟などでおなじみの「創世記」をはじめ、歴史書、預言書、詩など、39の書物で構成されている。もっとも古い記述は紀元前1100年頃、新しいものは紀元前150年頃。旧約聖書は1000年もの長い歳月を経て作り上げられたものなのだ。ちなみに、旧約聖書中の書物の多くは、紀元前597年のバビロン捕囚以後に成立したとされている。バビロン捕囚とは、ユダヤ人の貴族・有力者らが、新バビロニア軍に捕らえられ、バビロンに強制移住させられたことをいうが、こうした民族存亡の危機こそが、信仰やアイデンティティーをめぐる意識を高め、多くの書物を成立させたことは、想像に難くない。

・新約聖書は、イエスの生涯とその言葉を伝える「福音書」、イエスの弟子たちの働きを綴った「使徒言行録」、パウロをはじめとする弟子たちによる「書簡」、ハルマゲドンで知られる「ヨハネの黙示録」など、全27巻からなっている。

・イスラム教の聖典は「コーラン」とよばれる。正しい発音は「クルアーン」のほうが近く、アラビア語の意味としては「読誦されるべきもの」。だから、信者は黙読するのではなく、声に出して読まなければならない。また、「翻訳」もしてはならず、アラビア語で声に出して読まなければ、コーランを読んだことにはならない。もちろん、英語訳もあるし日本語訳もあるのだが、それらは「翻訳」ではなく、コーランを英語や日本語で「解説したもの」という位置づけである。新約聖書がキリスト自身が書いたものではないように、コーランもムハンマド自身が書いたものではない。コーランは仏典や聖書と同様に、開祖の死後に編纂されたものである。

・コーランの内容は、天地創造、終末、審判、天国と地獄、預言者についてなど、宗教としての教義もあれば、礼拝法、断食、巡礼、タブー、聖戦(ジハード)についてなど、信徒としての義務もある。さらには、日常生活における決まりや道徳についても書かれている。天地創造や最後の審判などは、旧約聖書と同じだし、なかには新約聖書の影響が見られる部分もある。

・イスラム教では、旧約聖書も新約聖書も、どちらも神の声を記したものとして、その存在を認めている。モーセやイエスも、ムハンマドと同様、預言者として認めているのだから、当然といえば当然だ。しかし、ムハンマドは最後の預言者であり、それまでの神の預言とされるものは間違っていて、最後の預言を書き記したコーランこそが正しいものだ、とされている。

・ブッダがこの世界や人生をどう考えていたかわかる3つの基本原理が「三法印」である。まず、仏教の特徴は諸行無常という言葉に端的にあらわれている。諸行無常とは、「すべてのものは変化しつづけており、常なるものは存在しない」という意味である。2つ目は「諸法無我」という言葉であらわされる。これは、すべてのものは「因縁」により生じたもので、実態はない。永遠に変わらないものは存在せず、ほかとの関係から独立した「自己」は存在しないという意味である。3つ目は、「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」という言葉で、これは、煩悩を滅した「涅槃(悟りの境地)」は、安らかであるという意味。つまり、仏教とは、「すべてのものは変化し、実体がないのが真理なのに、いつまでも変わらないと勘違いして、執着するから苦悩が生まれる。そして、苦悩は無知や欲望が原因であることに気づき、その無知や欲望を断ち切ろう」というのが、基本的な教えとなっている。

・上座部仏教のタイでは、出家して仏門に入ったお坊さんは、結婚できない。そればかりか、欲望を抑えるため、女性とのセックスはもちろん、女性に触れることも禁じられている。上座部仏教で、いまでもこんな厳しい戒律が守られているのは、もともと仏教では「不邪淫戒」といって、淫らな性関係を結ぶことが禁じられているからである。

・もともと、出家した僧侶は250、尼僧は348にもおよぶ戒律を守ることになっている。しかし、日本では、天台宗の最澄が、菩薩戒だけを守れば菩薩僧になれると説いて、必ずしもすべての戒律を守る必要がないとした。これをきっかけに、日本では多くの戒律を守らなくてもよくなった。また、浄土真宗を開いた親鸞が結婚したことをきっかけに、さらに戒律にたいする考え方が変化し、上座部仏教に比べて、日本仏教では守るべき戒律が一気に少なくなった。ちなみに、修行のために個人で守るべきことを「戒」といい、集団としての規律を「律」とよぶ。

・聖書のいう神とは、唯一絶対の存在「God(ゴッド)」のことであり、「God=この世のすべての存在を生み出した創造主」というふうに、意味が限定されている。キリスト教には「創造主」「イエス」「聖霊」の3つの神があるのだ。三位一体とは、「神はその本質的存在においてはただひとつだが、そのなかに、父、子、聖霊という3つの位格が存在する」という考え方のこと。この場合、「父」は創造主、「子」は救い主であるイエスを指している。ごく大づかみにいって、精霊は奇跡を起こす「証し主」ととらえることができる。聖書には、処女マリアがイエスを身ごもったり、土の塊から、全人類の祖先・アダムが誕生するといった、科学的に説明のつかない場面がしばしば登場する。キリスト教では、この奇跡を起こしているのが、聖霊だとされているのである。

・アッラーは本来、ユダヤ教・キリスト教の神とおなじ神。ならば、争う必要などないではないかと思えるが、そうもいかないらしい。おなじ神でも、信じ方が違うのだ。アッラーとは全知全能にして、天地万物の創造主である。そして、人間とおなじように意志や感情を有する。つまり、なんらかの人格がある。ここまでは、ユダヤ教もキリスト教もおなじだ。しかし、アッラーには、子もなく親もないことになっている。だから、イエス・キリストが「神の子」であるとするのは、イスラムから見れば間違っていることになる。

・イスラム教では、「六信五行」とよばれる6つの信仰と5つの行いが義務づけられている。六信は、イスラム教徒として信仰しなければならない6つの事柄で、最初はいうまでもなく、唯一にして全能の「神(アッラー)」。次が、その神のメッセージを伝える「天使(マライーカ)」。3つ目が、コーランなどの「啓典(クトゥプ)」。4つ目が「預言者(ルスル)」で、モーセやイエス・キリストも含むが、もちろん最も偉大なのは最後の預言者であるムハンマドである。5つ目が「来世(アーヒラ)」。これは、キリスト教同様の考え方で、死者はすぐに来世に向うのではなく、この世に終末が訪れたとき、神による最後の審判が下され、それまでの死者も含め、天国に行くか地獄に行くかが決まる。それが来世だ。信者は、この「終末」と「最後の審判」を信じなければならない。そして最後が「天命(カダル)」人間の一生はすべて神の手に委ねられていることを信じなければならない。つまり、何も心配せずに、神にすべてまかせなさい、ということ。

・だが、これらを信仰しているだけではだめで、それを裏付ける具体的な行為を5つしなければならない。それが「五行」である。まず、「信仰の告白(シヤハーダ)」と「礼拝(サラート)」がある。礼拝は毎日5回、そのたびに信仰の告白として「アッラーのほかに神はなく、ムハンマドはアッラーの使徒」と唱える。3つ目は「喜捨(ザカート)」。イスラム教には弱者救済、平等の思想があるので、一種の税金のようなものとして、財産のある人はお金を出さなければならない。それは、未亡人、孤児、困窮者などに分配される。4つ目がよくしられるラマダーンの月の「断食(サウム)」。年に1回、1か月にわたり、日中の飲食が禁じられる。そして最後が、メッカへの「巡礼(ハッジ)」。イスラム歴の12の月の7日から10日に聖地メッカへの大巡礼が行われる。ムハンマドが死の直前に行った「別離の巡礼」にちなむもので、一生に一度は赴かなければならない。この五行をきちんと行うことで、信仰の篤さが認められ、天国にいくことが約束されるわけだ。

・キリスト教には、大きく分けて、カトリック、プロテスタント、東方正教会の3つの宗派がある。まず「ローマ・カトリック教会」「ローマ教会」ともいわれるカトリック教会は、ローマ帝国の国教となったキリスト教を、管理・運営してきた歴史をもつ教団。その最大の特徴は、ローマ教皇(法王)を全教会の頂点におく、ピラミッド形の組織にある。プロテスタントは、16世紀のルターやカルバンの宗教改革に端を発するプロテスタント(抗議する者の意)はカトリック特有のピラミッド形組織を批判するかたちで誕生した。そのため、カトリックのように巨大な組織はなく、何百という教派が独立して活動している。そしてカトリックとプロテスタントが決定的にちがうのは、前者が儀式や伝統、伝承を、聖書と同じように重んじているのにたいし、後者は聖書の教えだけを、信仰のよりどころとする点。また、聖母マリアをはじめとする聖書の登場人物をとりたてて崇拝したりしないのも、プロテスタントの特徴である。残る東方正教会は、スラブ系諸国に広く分布し、ローマ大司教が法王になることに反対したコンスタンティノープル大司教がつくった教団である。ローマ・カトリック教会から正式に分離したのは1054年。現在は、ロシア正教、ギリシャ正教、ルーマニア正教、セルビア正教など、各国あるいは民族毎に正教会が形成され、「主教」のもと、それぞれ独自に活動を行っている。カトリックとちがって、全体的な首長を戴いたり、ピラミッド形組織をもつことを認めていないからだ。東方正教会の特徴は、古カトリック教会の伝統に忠実で、政教一致、聖俗一致、肉体と精神の一致を主張しているところにある。また、儀式のスタイルも、原始キリスト教時代の方法に近く、ロウソクや香炉がたかれ、聖火が流れる祈祷式は、かなり神秘的である。このほあk、イコン(聖画像)とよばれる聖人の板絵を崇拝する点も特徴である。

・コーランが認めているのは、旧約聖書の最初の5章と、新約聖書の4つの福音書。だが、これもそのすべてが正しいのではなく、コーランが正しいと保証している部分に限られる。それでも、イスラム教は、キリスト教徒を神から啓典を授かった人たちとして、仲間としてあつかっており、敵とはしてこなかった。ところが、キリスト教徒は、イスラム教を認めていない。キリスト教としては、あとから出てきたイスラム教が、イエスを「神の子ではない」といったのが、気に入らなかったようで、最初からイスラム教には冷淡だった。しかも、イスラム教がまたたくまにアラビア半島じゅうに広まり、さらに勢力が拡大していくので、脅威に感じたのである。

・イスラムにも大きなふたつの宗派がある。それがスンニ派とシーア派である。数の上では、スンニ派が圧倒的でイスラム教徒全体の9割を占める。スンニ派もシーア派も、ともにコーランの教えにしたがっている点では同じ。ただ、シーア派のほうが、教えに厳格で理想主義的といえる。シーア派ではコーランの教えは絶対で、そこから外れた行為はしてはならない。一方、スンニ派には比較的柔軟性があり、同派の優勢な国々は、欧米思想を適度に受け入れ、近代化路線を歩む国が多い。サウジアラビアやクウェートがその代表で、油田開発による利益をあげ、経済発展をとげた。こうした西欧化路線に批判的なのがシーア派で、その代表はイランである。ならば、イスラム原理主義とよばれるのはシーア派か、と思われがちだが、これは両派にいる。最近では、指導者の方針に反発して、分派をつくる者が続出し、そのほとんどがイスラム原理主義組織をつくっている。

・コーランでは、イスラム教の強制は禁止されている。じっさい、異教徒であっても、税金を納めることで、信仰の自由は保障されている。実は、この税金こそが布教の決め手だったのだ。イスラム勢力は、征服した土地において、イスラムの信徒になれば、税制上の優遇措置をとったのだ。その逆に、キリスト教、ユダヤ教、ゾロアスター教の信徒たちからは高い税金をとった。イスラム教徒になれば、税金がかなり減免されるとあって、人々は進んで信者になったわけだ。もちろんこれだけではない。彼らは、隊商を組む商人でもあったから、ビジネスとして様々な土地に出かけ、その地で商売と布教を同時に行ったのである。そのおかげで、布教のコストは削減され、リスクも軽減された。布教はうまくいかなくてもビジネスがうまくいけば、無駄足にはならない。さらに、いきなり異教徒が布教のためにやってくれば警戒するが、商売をしに来たのであれば、とりあえずは出迎える。

<目次>
一目でわかる三大宗教
 三大宗教の教え
 世界の宗教分布
 開祖の障害と各宗教の歴史
 三大宗教の発展
 世界の宗教人口
1 「開祖」はどんな人物でいかに教えを広めたか
 仏教の開祖ブッダの生涯
 キリスト教の開祖イエス・キリストの生涯
 イスラム教の開祖ムハンマドの生涯
2 「聖典・経典」には、そもそも何が書かれているのか
 多様な仏教経典の世界
 旧約・新約のふたつからなるキリスト教の聖書
 イスラム教の聖典「コーラン」とは何か
3 三大宗教は私たちにどんな「教え」を説いているか
 仏教の教えとその考え方
 キリスト教の教えとその考え方
 イスラム教の教えてその考え方
4 どんな「宗派」がありその違いはどこにあるのか
 仏教の宗派の違い
 キリスト教の宗派の違いと、ユダヤ教との関係
 イスラム教の宗派の違いと、キリスト教との関係
5 「死後の世界」はどう考えられているか
 仏教における死後の世界
 キリスト教の終末観
 イスラム教の終末観
6 「イスラム教」の信仰と生活 その具体的な姿とは
 「イスラム」とは何か
 生活に根ざしたイスラムの戒律
7 「キリスト教」の原点 旧約聖書の世界とは
 旧約聖書が語る人類の歴史
 モーセの活躍とイスラエル民族
8 日本人は「仏教」とどうかかわってきたか
 日本人は仏教をどう取り入れたか
 鎌倉新仏教の各宗派はどのような教えなのか

面白かった本まとめ(2007年)
面白かった本まとめ(2006年)
面白かった本まとめ(~2006年)

<今日の独り言>
 最近パソコンの調子が悪くなってきたので、チェックディスクをしました。そのお陰かすっかり直ったようで、良かったです!

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