ヘッダーメッセージ

「勝負心(渡辺明)」という本はとてもオススメ!

<金曜は本の紹介>

「勝負心(渡辺明)」の購入はコチラ

 「勝負心」という本は、将棋棋士である渡辺明さんが書いた本です。
彼のブログはいつも見ていて、なかなか面白いですね。

 弱冠20歳で将棋界最高位である「竜王」を獲得し、しかも9連覇を果たした著者が、その連覇の状況や、さらにたくさんのタイトルを獲得している羽生善治さんとの戦い、立ちはだかる羽生世代との勝負、勝負に勝つためには不断の努力が必要なこと、勝負に勝つ心構え、プロとしての日常、コンピュータ将棋などについて楽しく分かりやすく、実例をふんだんに取り入れて説明したものです。

 本書は将棋の世界がよく分かるだけでなく、勝負に勝つ心構えやより良い人生を過ごすための秘訣についても学べ、とても参考になると思います。

 特に以下については共感しましたね。
かなり良いことが書かれています^_^)

・人間は挫折を味わってこそ成長する
・負けてこそ強くなる
・秘策はすぐ試みるべき
・いつでも真剣勝負が必要
・弱点がないのは強い
・強い棋士ほど負け将棋の内容が良い
・檜舞台こそ成長する
・事前の研究が勝負を決める
・情報に乗り遅れると負ける
・調子という概念はない、実力がすべて
・棋譜並べは本筋の感覚が磨かれるので重要
・ゲン担ぎせずに事前準備や体調管理などベストを尽くすことが重要
・形勢判断の甘さは油断につながる
・本筋、裏筋だけでなく奇想天外筋も読むべき
・メンタル面は重要
・苦しいときこそ、度胸を決めて開き直ることが大事
・勝負においてはブレることなく平常心を貫くことが大事
・後悔は時間の無駄
・自分自身で考えて結論を出すことが大事
・自分自身がそれぞれの局面をどう判断するかが重要
・仕事について何も考えない日をあえて作るのも重要
・熱意こそが才能
・勉強は裏切らない。やっただけ身につき力になる
・若くしてプロになり真剣勝負の場を経験するこることは人生にプラス
・人間は気の持ちようでいつでも進化できる。自分の限界は勝手に決めないことが重要

「勝負心」という本はとてもオススメです!

しかし勝負は厳しいとはいえ、ここまで書いたのだから竜王戦は勝って10連覇しなきゃいけなかったでしょう・・・^_^;)

以下はこの本のポイントなどです。

・夢であってほしい。そう切に願ったが、東京駅で目が覚めると紛れもなく現実であった。三連敗した事実は想像以上に厳しいものだった。しかし、この経験があったからこそ、いまの自分がいる。苦労は買ってでもすべし、とはよく言ったもので、人間は挫折を味わってこそ成長する。羽生さんや谷川浩司九段といった先輩たちも、幾度となく挫折を経験して強くなってきたのだから。将棋は負けてこそ強くなる。私の棋士人生は、当時まだ年月の浅いものだったが、三連敗を喫して剣が峰に立たされたことで、メンタル面の大事さを身をもって知る貴重な経験となったのである。

・「秘策は、最終局まで隠しておいたほうがよいのでは」と思われるかもしれない。しかし、秘策こそすぐに試みるべきものだと私は考える。せっかく温存しても、試す機会を逸する恐れがあるからだ。将棋の研究は日進月歩で進んでいる。現在有力だと思われている作戦でも、明日になれば、誰かに対策を研究され尽くし、使えなくなるかもしれない。だったら、お蔵入りになる前に出してしまったほうがよい。舞台の大小に関係なく、羽生さんとは、いつでも真剣勝負をしなければならないと思っている。

・羽生さんについては、過去の取材でもよく聞かれたのだが、「生きる教材」と答えたのは初めてかもしれない。2013年10月現在、私は竜王・棋王・王将の三冠を保持しており、なかでも竜王位は9連覇中で、永世称号の有資格者でもある。永世称号を獲得すると歴代のランキングが急激に上昇する。私のこれまで獲得した通算タイトル数は12期で、米長邦雄永世棋聖の19期や谷川浩司九段の27期よりも少ないが、今後の努力次第では、いつの日か追い越せる日がくるかもしれない。しかし、歴代一位である羽生さんの86期(2013年10月末現在)は気の遠くなる数字で、客観的に見て、追い越すことは不可能に近い。86期の羽生さんに続くのが、歴代二位である大山康晴15世名人の80期、歴代3位である中原誠16世名人の64期で、この3人が突出している。ちなみに歴代4位は谷川九段の27期で、ここに大きな開きがあるのだ。この3人のうち、大山先生は他界され、中原先生はすでに現役を引退された。唯一、羽生さんだけが現役棋士だ。

・羽生将棋の特徴について尋ねられることがあるが、いつも返答に困ってしまう。なぜならこれといった特徴がないからだ。特徴といえば、「強い」ということだが、それでは将棋を分析したことにはならない。「特徴がない」というのは、「個性がない」ということではない。「弱点がない」ということだ。棋士なら誰でも好きな戦法や苦手な戦型があるものだ。私は、序盤からいきなり戦いになるような乱戦が好きではないので、序盤は、玉を金銀で囲うことを優先する。しかし、羽生さんはどんな戦法でも指しこなすし、序盤から大乱戦になっても、一歩も引かない。まさに展開不問だ。むしろ未経験の形を楽しんでいるようにさえ感じられる。常に新しい形を積極的に追い求めてきた、その貪欲な姿勢こそ、羽生さんの強さの秘訣なのかもしれない。福永騎手が対談で「万能ということは、言い換えれば個性がないとも言える」と語っていらしたが、羽生さんにピタリと当てはまる。

・羽生さんはまさに天才肌だ。勝率が高く、技術的に優れているというのはもちろんのこと、目に見えない何かがちがう。大事な場面で、すべてを読み切らなくとも、自然に急所に手が伸びるといった印象だ。プロレベルで見ても、羽生さんだけは突出している、と言っていい。羽生さんの強さは計り知れない。私は公式戦を600局以上戦い、7割近い勝率を残してきた。そのうち約200局もの敗局があるが、そのほとんどは、自分のミスによるものと認識している。しかし、こちらが一手のミスもなく指しているというのに、気づいたら負けていた、ということが、ごく希にある。敗因が分からず、「どう指しても無理だったな」と感じる、その唯一の相手こそ、羽生さんだ。

・一流の証とは何か。それは、強い棋士ほど負け将棋の内容が良い、ということだ。それが最も当てはまるのも、羽生さんだ。勝局はもちろんのこと、敗局にも名局が多い。圧倒的な実績を誇る羽生さんが、名局賞ではなぜ敗者に回ってしまうのか。理由は、勝つときは快勝が多く、負ける時は僅差が多いからだ。苦しくても簡単には土俵を割らない底力があるからこそ、名局が生まれるのである。ここに羽生さんの凄みがある。このことは、羽生さんに勝つためには、実力以上のパフォーマンスを発揮しなければならない、ということを意味する。

・振り駒で先手番となり、迷わず「矢倉」に誘導した。難解な中盤戦を経て、戦いは終盤戦へと移った。私が形勢不利に陥ったとき、それは起こったのである。駒を持つ羽生さんの手が、突如ブルブルと震え出した。初めは、一体何が起きたのかわからなかった。次の瞬間、「負けたな」と冷静に判断している自分に気づいた。震えは、羽生さんが自分の勝ちを確信して緊張感から解き放たれた、その安堵感からきたものだったのだろう。羽生さんの手の震えは、その後も希に見られるようになった。今では、「終盤で羽生さんの手が震えだしたら、観念するしかない」と言われている。

・最近のプロの将棋は、事前の研究が勝負に占めるウェートが極めて高くなった。パソコンの導入によって公式戦の棋譜がデータで管理されるようになってから、この傾向に拍車がかかったように思う。竜王だろうが新人だろうが、前例の将棋を知っていて当たり前の時代になった。そうした過去の棋譜データをベースにして、いかにそこに自分なりのアレンジを加えるかが重要になってくる。羽生さんは廃れた作戦に目を向けて、新たな息吹を吹き込んだ。

・羽生世代の棋士の出現により、定跡の体系化が急速に進められ、システマティックに様変わりしたのである。この手にはこの手、あの手にはこの手といった具合に、序盤戦から突き詰めて研究されるようになった。まず羽生世代の兄貴分的な存在である島朗九段が棋譜をパソコンで管理するようになり、データベースが生まれた。続いて、羽生さんが執筆された「羽生の頭脳」が画期的な定跡書となり、若い世代から大きな支持を得た。この2つの功績により、現代将棋は大きく発展してきたわけである。さらに、私たちの、いわゆるパソコン世代は、指し手をより機械的に決めるようになった。そうするのは、持ち時間を節約するためである。昔は、将棋盤の前に座ってから勝負という雰囲気だったが、今は事前準備の段階で、ある程度の勝負が着いてしまう。羽生世代がかつて指したタイトル戦の棋譜を見ると、序盤のごく普通の一手に大長考をしている。当時はまだ序盤の戦術が進化する途中の段階で、一手一手を確認する意味で時間がかけられていたのである。しかし、序盤の戦術が構築された現在では、こういった長考はまず見られない。長考する必要がなくなったからだ。

・郷田九段との対戦では2011年度のA級順位戦が印象深い。ひとことで言えば労せずして勝った、あっけない将棋であった。戦いは、はじめから「角換わり腰掛け銀」の最新形の通りに進んだ。どこまで行っても研究済みの局面から外れることがなく、それは、豊島将之七段の著書(豊島将之の定跡研究)に書かれていた通りの展開だったのである。私はその本を読んで研究していた。プロなら誰でも目を通しているはずと思っていたが、一向に変化してこないので、もしやと思った。そう、郷田九段は、豊島七段の著書をチェックしていなかったのである。こうなると、間違いなく勝てる。しかし、この勝利は、自分の力というよりも、まさに労せずしてといった感じだった。6時間の持ち時間が半分以上残っていたことが、それを物語っていた。逆に言えば、研究の勝利とも言えるだろう。情報化時代に乗り遅れてしまうと、事前の準備段階で圧倒的な差をつけられてしまう。

・タイトル戦が開幕する直前には、主催紙や専門紙からインタビューの依頼を受ける。すると必ずといっていいほど、「最近の調子はいかがですか?」と聞かれるのだが、いつも返答に困ってしまう。以前は、何とか繕って形になるようにコメントしていたが、最近は面倒なので、「「調子」という概念は、私にはありません。すべて実力です」と答えるようにしている。「そもそも調子って何ですか?」と逆に質問してみたくもなる。単に勝ち星が集まれば、「調子が良い」で、負け続ければ、「調子が悪い」ということであれば、「調子」という言葉をわざわざ使う必要もないだろう。ごく希に体調が優れないという理由で、思ったような将棋が指せない、ということはある。とくに冬場は、体調の良し悪しはあると感じることもある。しかし、それを含めて、すべて実力だ、と私は考える。体調管理も、勝負に臨む際の大事な要素だ。将棋の世界では「不調も3年続けば実力」という言葉があるが、私にとっては「調子の良し悪し」などない。すべて実力だ。

・将棋の勉強法のひとつに棋譜並べがある。音楽の世界でいう楽譜のようなものだ。棋譜を見れば、どんな将棋でも盤上に再現できる。私は修行時代にトッププロ同士の棋譜を何度も将棋盤に並べた。先人のトッププロが指した一手一手の感触を、身体にしみ込ませるためである。強い人の将棋は本筋の手の連続で、指し手の数々が実に美しい。棋譜を並べることで、こうした正しい駒の方向性が自然と身に付く。この繰り返しによって、常に本筋を選ぶ感覚が磨かれるのである。

・ゲンを担ぐことは、文字通り、気休めでしかない。人によっては、ゲンを担ぐことで平常心が保てるとか、気合いが入るということがあるのかもしれない。しかし、ゲンを担ぐことにそれ以上の意味はない。重要なのは、自分のベストを尽くすことだ。私は、対局に臨むにあたって、ゲンを担ぐかわりに、次のことを心がけている。まずは、事前の研究による入念な準備。次に、対局日に向けての体調管理。最後に、対局場まで無事にたどり着くこと。この3つが重要と考える。対局が始まってしまえば、勝つも負けるも、あとはすべて実力である。

・形勢判断の甘さは、油断につながる。プロ棋士としてデビューした当時は、少し有利になるだけで、その後はどうやっても勝ちだと思って、よく考えずに、どんどん指し手を進めることが多かった。しかし、棋士として激戦を重ねていくうちに、将棋の難しさや奥の深さを痛感するようになった。大優勢と思いこんでいたのに、実は互角に近く、油断して敗れるような経験をしてきたのである。私は、中学生でプロ棋士となった。私の将棋人生は、とくに大きなカベにぶつかることもなく、まさに順風満帆だった。ところが、プロ棋士として、勝ち進むにつれて、思っていたようにことが進まなくなった。はっきり言って、これは慢心以外のなにものでもない。慢心すれば、油断が生まれ、しっぺ返しを喰らう。そういうことを次第に身をもって知るようになったのである。

・対局中に相手の次の一手を読むときに、二つだけでなく、実はさらにもう一つのパターンをも考えるようにしている。一つ目は、本筋の一手。プロなら第一感という手で、奇をてらわない正攻法の一手である。二つ目は、裏切りの一手。意表に出るような勝負手を臭わせる一手、と言えば、わかっていただけるだろうか。そして最後の三つ目は、奇想天外のリスキーな一手。誰も想像できない悪手のような危険をはらんでいる一手だ。この三つのパターンを繰り返し読んでおくことで、気持ちに余裕が生まれるのである。どんな手を指されても、どんな局面になったとしても、対応できるようになる。意外に大事なのは、第三のリスキーな手を読んでおくことだ。というのも、この手を読んでおかないと、万が一、相手がその手を繰り出してきたときに、動揺してしまうからである。待ち時間を使い切った終盤戦なら、なおのことパニックに陥ってしまうだる。こちらにとって予期せぬ展開になってしまっては、相手のペースに飲み込まれてしまい、優位に戦いを進めることはできない。どんなにメンタルが強い人でも、平常心を欠いては正しい判断ができなくなってしまう。そういう状況に陥らないためにも、「想定外」を想定しておくことが重要なのである。

・将棋は、好手を指したほうが勝つというよりも、最後にミスをしたほうが負けるゲームであり、相手の協力なくしては、局面を挽回することはできないのである。羽生さんは、34分考えた末に、結局、正着を指してこなかった。なぜだろうか。おそらく、その手は、一見すると筋の良い手ではなかったからだ。形の良さや美しさにこだわるプロゆえの盲点とも言える。実は、私のほうも、対局中はその手が良い手だということに気がつかなかった。しかし、もし気づいたとしても、絶対に動いてはいけない。内心の動揺を悟られてしまうからだ。動揺していることが相手に伝わって、それが引き金となり、正着を誘発してしまうことも大いにありうる。苦しいときこそ、場の空気を変えてはいけない。トランプのババ抜きでジョーカーを引いたとしても、平然としていなければならないのと同じだ。むしろ胸を張るぐらいがちょうど良い。

・勝負を制するために必要なのは、何と言っても実力である。しかし、人間を相手にするゆえに、メンタル面も重要となる。常に相手との駆け引きが続いていくのが、将棋の勝負だからだ。苦しいときこそ、度胸を決めて開き直ることが大事である。ある対局の終盤、私が敗勢という場面で、負けを承知で相手の玉に王手をかけた。相手にその駒を取られたら私の負け。王手に対して相手が逃げてくれれば、逆転という状況だった。勝負に負けることは辛いことだ。その分、負けを意識したときに、気持ちを整理するのは、難しい作業となる。しかし、その苦しい状況で開き直れる大胆さこそが、最後のチャンスを生み出す。大事なのは態度と姿勢だ。私は胸を張り、自信満々の手つきで、その一手を放った。するとどうだ。相手は、王手に対して逃げてくれたのである。その一手により、逆転勝利を収めることができあ。もし、私が自信なさげに王手をかけていたとしたら、相手は、逃げずに正解手を指しただろう。まさに人間同士の戦いだからこその勝負のアヤだ。

・勝負においては、ブレることなく、平常心を貫くことが最も大事だ。平常心を欠けば、迷いが生じ、実力を発揮できなくなる。ミスをしてしまった場合でも、いや、むしろそういうときこそ、平常心を保つことが大事になる。平常心を欠けば、どんな達人でも、正しい判断ができなくなってしまうからだ。

・勝負に臨むにあたっては、まずは事前準備が重要である。しかし、終わってしまったことをぐだぐだと考えたり後悔するのは時間の無駄である。対局中に自分のミスで優勢をフイにしてしまうことがある。そこで、ミスしたことを後悔するか。それとも現状を受け止めて、割り切って、次にすべきことを前向きに考えるか。それこそが、むしろ最終的に勝敗を左右する。対局中に後悔したところで、マイナスにしか働かない。後悔ばかりしていては、むしろ局面をさらに悪化させてしまうだろう。どんなに後悔しても過ぎ去った時間は元に戻らない。だとすれば、後悔は時間の無駄でしかない。もちろんミスは、事前の準備によって、極力避けるべきだ。しかし、将棋においても、日常生活においても、ミスを犯したときに、次にどう行動するかで、その人の真価が問われるのである。私はあまり過去を振り返らない。大事なのは、未来であって、現状での最善を求めることだからだ。その前向きな姿勢こそ、チャンスが巡ってきたときに、そのチャンスをしっかりと掴むことを可能にする。

・私の将棋は、決断が良い、見切りが早い、とも言われる。それは何より、終盤の勝負どころに向けて、持ち時間を温存しておくためである。嫌いな手は頭に浮かんでも、深くは読まずに切り捨ててしまうことがある。時間を有効に使うために見切るのである。また、たとえ読み切れない場面であっても、可能なかぎりの精査をしたうえでの結論であれば、いったん決めてしまった以上は、自分の判断に自信を持つようにしている。大事なのは、自分自身で考えて結論を出すことだ。失敗したとき、他人任せでは後悔してしまう。しかし、自分で決めたことであれば、あきらめるしかない。そういう経験を積み重ねることで初めて判断力や見識が身についてくるというものだ。実力は、失敗を糧に身に付くもの。失敗をどう次につなげていくかが重要だ。

・重要なのは、自分自身がその局面をどう判断するかだ。過去の棋士が勝てなかったとしても、自分なら何とかできるのではないか、と考えてみることだ。データには、単に勝敗が記されているだけである。順当勝ちであったのか、逆転勝ちであったのかは、棋譜を並べてみないとわからない。勝負は結果がすべてである。そのため、新しい手は、勝てば流行するし、負ければ自然と忘れ去られる。しかし、他人が見落とした部分にこそ、大きなヒントが隠されているものだ。また棋譜データには、デビュー間もない若手棋士のものから、タイトルホルダーのものまで、さまざまなものが混在している。若手棋士のものと、羽生さんのものとでは、当然ながら信頼度がちがう。過去のデータを参照するにしても、そこに新たな息吹を吹き込み、自分なりに加工することこそが大事なのである。そのようにして初めて自分自身の糧となるのだ。

・棋士も人間である。常に将棋のことを考えているように思われるかもしれないが、決してそうではない。もちろん毎日考えている棋士もいると聞くが、私の場合は、将棋について何も考えない日もあえてつくるようにしている。むしろそのように切り替えるほうが、必要なときに新鮮な気持ちで将棋に打ち込めるからだ。将棋のことを考えない日は、おおむね土曜と日曜。カレンダー通りであるが、中央競馬の開催日という理由もある。土日に仕事が入ることもあるが、そうでなければ、自宅で朝から趣味の競馬を堪能している。私は、年間約2千レースもの馬券をインターネットで購入する。予想が的中すれば、嬉しいし、外れれば、悔しい。全く単純な話ではあるが、そのように予想を立てて、一喜一憂することは楽しいし、良いリフレッシュにもなる。

・才能とは何か。熱意こそ、才能である。将棋で言えば、将棋の研究に時間をかけられる熱意こそ、才能である。好きなことであれば、子どもは、親から言われなくとも、みずから進んで取り組み、どんどん吸収し、力をつけていく。プロ棋士になってからは、日々の研究がもつ意味は、以前とは異なるものとなったが、プロ棋士の実力も、日々の研究に対する熱意にもとづくことに変わりない。その意味では、誰にでもチャンスはある。しかし、熱意を持ち続けることは、そう簡単なことではない。基本的に棋士は、日々、一人で研究を行う。一人で気楽だ、ということはある。しかし、一人で研究を続けるのは、かなり苦痛な作業だ。さぼろうと思えばいくらでもさぼれるからである。まさに自分との戦いだ。「1日何時間、将棋の勉強をしているか?」と聞かれるが、それなりに時間をかけてきたつもりだ。熱意では誰にも負けないという自負もある。その自信が、ここぞという場面で心の支えになるのである。

・同級生が日頃から学業に励んでいるのを脇に見ながら、ひたすら将棋の勉強に明け暮れた。その結果、中学生棋士になることができたのである。このとき、勉強は裏切らない。やっただけ必ず身につき、力になる、ということを実感したのである。この経験は大きかった。高校に進学すると、それなりに忙しくなった。進学校なので、以前よりも学業に比重を置く必要に迫られたのだが、それにしたがって、将棋の成績は落ちてしまった。しかし、何も心配することはなかった。将棋の勉強をしなければ、苦戦するのも当然だ。今は、高校生活を大事にしよう。長い棋士としての人生を考えれば、この高校3年間は、貴重なものとなるかもしれない。将棋に打ち込むのは、高校を卒業してからでも遅くはない。そう考えたのである。高校を卒業して、再び将棋の猛勉強を始めた。結果はすぐに表れた。19歳で初めてタイトル戦(王座戦)の舞台に立つことができた。初の檜舞台は、惜敗したが、翌年20歳の冬には、二度目のタイトル戦となった竜王戦で、念願の初戴冠を果たせたのである。

・中学3年で3段リーグに参加するようになってから、本格的な勉強を始めた。朝起きて1時間勉強してから学校に行き、夕方帰宅した後は、夕食と風呂以外の時間は、すべて将棋盤に向かった。中学生棋士になるために、相応の努力をしたのである。若くしてプロになることは、棋士人生にとって、間違いなくプラスだ。伸び盛りの若いときにプロの真剣勝負の場を経験することには、何にも優る意義がある。私も含めてタイトルを手にした棋士は、皆、おおむね20歳前後で初戴冠を果たしている。その意味では、20歳前後で将来が、ある程度、見えてしまう厳しい世界なのである。棋士として、プロになるには、若ければ若いほどよい。もちろん、20代でプロになる棋士もいるが、いずれにせよ、プロになってから10年の時点で、どのポジションにいるかによって、その棋士の将来は、ある程度見えてくる。

・福永騎手がこう語ってくれたのである。「自分の限界を勝手に決めていたが、人間は、気の持ちようで進化できる。伸びしろは増えるものだ」2010年頃から福永騎手は、改めて自分の騎乗フォームを見直したそうである。そのために、専門のコーチをつけた。しかも、そのコーチは、動作解析の専門家で、馬に乗った経験のない人だった、というから驚く。その甲斐あって、リーディングジョッキーに上り詰めたそうだ。

<目次>
まえがき
第1章 永世竜王への道のり
 1分33秒の大逆転
 永世竜王をめぐる戦い
 フランスでの競馬観戦
 将棋観を全否定された思い
 将棋は負けてこそ強くなる
 秘策は温存せずにすぐに使う
 いよいよ最終決戦
 読み筋が合う
 羽生さんとはいつでも真剣勝負
 翌朝の記事で初めて実感が湧く
第2章 羽生さんという棋士
 羽生さんは「生きる教材」
 万能だからこそ特徴がない
 役者がちがった初対局
 強い人ほど負け将棋の内容が良い
 羽生さんならではの感覚
 初の大舞台でカド番に追い込む
 「羽生を震えさせた」
 羽生さんに勝ってこそ真の竜王
 竜王戦で羽生さんと戦えた幸せ
 史上初の三冠対決で得た経験
 羽生さんの偉業について
第3章 羽生世代との戦い
 昭和57年組の活躍
 羽生世代の将棋観
 タイトル戦での苦労
 草履履き間違え事件
 女将の挨拶中に有馬記念を観戦
 読み筋が合わない佐藤康光九段
 移動のバスで競馬談義
 有言実行で竜王三連覇
 丸山九段との研究合戦
 後頭部に冷却シート
 郷田棋王に勝ち初の三冠
 繊細な一面を見た
第4章 すべて実力-将棋にツキは関係ない
 偶然的要素の少ない勝負
 淡々と勝負に臨む
 「調子」という概念はない
 「指運」も実力
 10秒でも読む
 不断の努力によって磨かれる「勘」
 競馬も読み
 ゲンは担がない
 勝負を決める事前準備
 振り駒-先手と後手のちがい
 タイトル戦に関する谷川理論
 米長哲学について
第5章 読みと見切り-勝負を制する心構え
 将棋の読み
 一手後の局面は闇
 奥の深い形勢判断
 「想定外」を想定する
 三手目で相手の実力が分かる
 人間相手の勝負
 苦しい状況で開き直れる大胆さ
 平常心を保つ
 後悔は時間の無駄
 ミスを防ぐ精神的余裕
 机上のメモでリスク回避
 見切りの大事さ
 悪手は相手がとがめてこそ悪手
第6章 コンピュータが将棋を変える?
 驚異的なコンピュータ将棋ソフトの実力
 負けても不思議ではない
 フェアな勝負ではない
 棋士とコンピュータのちがい
 電子機器の取り扱い
 コンピュータとの共存
 データの正しい活用法
第7章 プロ棋士として生きる
 プロ棋士にとっての日常
 将棋のことを考えない日もつくる
 休むことも仕事
 楽しいと感じることがない対局
 三段と四段の大きな境目
 熱意こそ才能
 中学生棋士として
 20歳で未来が見える厳しい世界
 持続力が第一人者の条件
第8章 永世竜王としての
 トッププロとしての悩み
 憧れだけでは勝てない
 棋士としての礼儀
 タイトル戦での立ち居振る舞い
 常にある危機感
 失冠しても保たれた信用
 名人位に対する執着はない
 永世称号と引き際の美学
巻末付録
 年譜
 年度別勝率
 第17期(2004年度)竜王戦 決勝トーナメント表
 竜王戦 勝敗表
 竜王戦以外のタイトル戦 勝敗表
 渡辺明・羽生善治 全対戦成績

面白かった本まとめ(2013年下半期)

<今日の独り言> 
Twitterをご覧ください!フォローをよろしくお願いします。 

関連記事

  1. 「いまこそ知りたい ドナルド・トランプ(アメリカ大統領選挙研究会)」という本はとてもオススメ!

  2. 銀座の怪人(七尾和晃)

  3. 人生を変える!「心のブレーキ」の外し方(石井裕之)

  4. 「リーダーを目指す人の心得(コリン・パウエル)」という本はとてもオススメ!

  5. 「「いつものパン」があなたを殺す」という本はとてもオススメ!

  6. ハケンは見た!100社を経験した派遣社員の会社観察記(月澤たかね)

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。