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東海道五十三次 街道をゆく 二宮~小田原 (2)小八幡一里塚~北条稲荷

 前回に引き続き、阪急交通社が企画する「東海道五十三次 街道をゆく」の第8回目の二宮~小田原 (2)小八幡一里塚~北条稲荷について紹介したいと思います。

美味しいお昼ご飯を食べ、美しい相模湾を見ながら休憩して、出発します。
小八幡一里塚へ到着です。
江戸の日本橋から19番目の一里塚なので、その日本橋から約76kmの距離となります。


↑小八幡一里塚

そして、しばらくてくてく歩くと酒匂川へ到着しました!
かなり大きな川で、当時の浮世絵にも描かれているように、夏は肩車や台に載せて旅人を渡らせていました。
当時の江戸時代は船渡しが禁止されていたためです。
そのため、水量が増えると渡ることができず、足止めされたようです。
なお、冬は仮の橋で渡ることができたようです。
また当時の川幅はもっと広かったようです。


↑酒匂川の浮世絵


↑酒匂川

それから、新田義貞の首塚がありました。
越前藤島で討ち死にした新田義貞の首を故郷に葬ろうとした家臣宇都宮泰藤が、ここで病で没したので、義貞の首と一緒に埋葬されたと言われているようです。
ただガイドさんによると、全国に新田義貞の首塚はあるようで、どれが本物かはよく分からないようです^_^;)


↑新田義貞の首塚

それから、江戸口見附と山王原一里塚がありました。
小田原城から江戸方面の見附だったため江戸口見附という名称であり、また江戸の日本橋から20番目の一里塚がここにあったようです。
江戸の日本橋から約80kmということになります。


↑江戸口見附と山王原一里塚

そして少し歩くと北条稲荷がありました。
北条稲荷は元々は小田原城内にあったものを、1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の後に移転したものとのことです。
特筆なのは、キツネが檻に入れられていることですね^_^)
北条氏康の死去をキツネの祟りと考えた息子の北条氏政が社を建てた際に、キツネが暴れて祟らないように檻を造ったようです。
全ての稲荷に檻が造られているようです^_^;)


↑北条稲荷

そして、もう一つ、カエルに似た蛙石がありました。
この蛙石は1590年の小田原城落城前夜に夜泣きしたとのことで、小田原で何か異変が起こるときにこのカエルが夜泣きするようです^_^;)
今度夜泣きした時は、小田原から離れた方が良さそうです^_^;)

次は、(3)かまぼこ通り~小田原城です。


↑蛙石


↑蛙石の説明

今回は、檻に入れられた北条稲荷と蛙石は面白いと思いましたね^_^)

次は、(3)かまぼこ通り~小田原城です。

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