阪急交通社が企画する「東海道五十三次 街道をゆく」の第10回目の畑宿~箱根峠 (2)白水坂~関所について紹介したいと思います。
前回の甘酒茶屋から少し歩くと「白水(しろみず)坂」の石碑がありました。
↑白水坂
実は「城見ず坂」というのが本当の名前のようで、1590年の豊臣秀吉が小田原攻めの時に、ここで北条方に尾根上から大量の石を落とされ、やむなく小田原城を見ずにいったん引き返した坂なので、「城見ず坂」と呼ばれているようです。
そんな歴史があったんですね^_^)
そして少し下ると、大きな芦ノ湖が見えました!
おぉすごい!
ちょっと天気がイマイチなのが残念ですが、晴れればきっと綺麗なのでしょう!
それにしても広大な湖です!
↑芦ノ湖
そして、近くに「賽の河原」の説明がありました。
この地は地蔵信仰の霊地として、江戸時代に東海道を旅する人々の信仰を集めた場所のようです。
当時は多数の石仏や石塔が湖畔に並んでいたようです。
しかし、明治時代の廃仏稀釈により多くの石仏が失われ、また芦ノ湖の整備で徐々に規模が縮小されたようです。
ただ鎌倉後期と推定されるものもあるとは凄いですね。
周りには古い石塔などの一部がたくさん置かれていましたね。
↑賽の河原の説明
↑賽の河原の説明の周りの石塔など
それから、一里塚がありました!
江戸の日本橋から24番目なので、約96kmでしょうか♪
実は、25番目の一里塚はあったのかなかったのか、未だに不明なようです。
史跡としては25番目の一里塚はなく、24番目の次は26番目の一里塚があるようです。
↑一里塚
↑一里塚の案内
それから、箱根旧街道杉並木がありました♪
東海道の杉並木は1604年の江戸幕府の命により植えられたようですが、ここの樹齢はまだ350年程度なので、他より50年ほど若いようです。
約400本が現存しているとのことです。
↑箱根旧街道 杉並木の説明
杉並木は、まっすぐ天に向かって成長していて、それらが並ぶ姿は少し幻想的ですね。
素晴らしいと思います♪
↑箱根旧街道 杉並木
そして、ようやくお弁当となりました!
今回は13:30過ぎだったので、いつもより遅めです^_^)
今回も美味しく頂きました!
↑弁当
そして、有名な箱根の関所へ到着です!
関所は、諸大名の謀反防止のために開設されたもので、1619年に徳川秀忠の時代に開設されたとのことです。
関所は全国に53カ所設置され、特に東海道の新居(静岡県)、中山道の碓氷(群馬県)、木曽福島(長野県)と並んで箱根の関所は規模も大きく重要な関所だったようです。
箱根の関所は特に「出女」について厳しく取り締まりがあったようですね。
「出女」というのは江戸方面から京都方面へ行く女性や子供のことです。
当時は、諸大名の妻子は人質として江戸に置かれていたので、妻子が国許へ帰り、そこで大名に反乱を起こされると困るので、江戸幕府は特に「出女」について厳しく取り締まっていたようです。
なお、「入鉄砲」は静岡県の新居の関所で厳しく取り締まられていたようです。
この箱根関所は1869年(明治2年)に廃止され、最近までその様子が分からなかったのですが、1983年に静岡県伊豆の国市の江川文庫から1865年の箱根関所の大規模修理について克明な資料が発見され、その資料の解析や発掘調査を経て、完全に復元することができたようです。
その復元には丸9年かかり2007年についに完成したとのことです。
当時の様子をまったくそのまま完全復元できたというのは素晴らしいと思います♪
↑箱根関所の入口
↑箱根関所の掟
↑箱根関所の説明
それから関所の近くを散策したのですが、天気が良ければ、ここから富士山も綺麗に見えるようです。
↑天気が良ければ見える富士山
残念ながら曇りで富士山はまったく見えませんでしたね。
次回を楽しみにしたいと思います。
↑富士山方向の芦ノ湖
それから、箱根関所には昔の箱根宿場町の様子の写真もありました♪
やはり当時は藁葺屋根だし、籠で人を運んでいますね♪
かなり興味深い写真です^_^)
↑箱根宿場町の様子
次は(3)楓~箱根峠です。
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