前回の「①隅田川沿い~待乳山聖天宮編」の続きとなります♪
それから、待乳山聖天の近くには、作家の池波正太郎生誕の地の案内がありました♪
↑池波正太郎生誕の地の案内
↑池波正太郎の説明
ここに生家があり関東大震災で焼失してしまいましたが、その後も少年期・青年期は台東区で暮らし、この辺りもたびたび舞台として描いているようです。
私は鬼平犯科帳をよく読んでいたので感慨深いですね。
それから近くには「竹屋の渡し」跡がありましたね♪
昭和3年の言問橋の架設に伴い、渡し舟は廃止されたとのことです。
↑竹屋の渡し跡
↑竹屋の渡し跡の説明
それから、今戸神社へ行きました♪
八幡宮とのことです。
↑今戸神社
↑今戸神社の由緒
また、招き猫発祥の地であり、焼き物の今戸焼の発祥の地であり、新撰組の沖田聡司終焉の地とのことです。
↑招き猫発祥の地などの説明
↑今戸神社の本殿
今戸焼とは、この地で焼かれた日用品の土器類、土人形類のことで、かつては江戸を代表する焼き物として42軒はあり繁盛していたようです。
ただ現在は1軒だけとなったようで、招き猫などを焼いているようです。
↑今戸焼発祥の地と沖田聡司終焉の地の碑
↑今戸焼の説明
沖田聡司は肺結核のためここで匿われて治療していたようですが、その甲斐なくここで没したようです。
↑沖田聡司の説明
そして山谷堀(さんやぼり)公園へ行きました♪
雨上がりの水面が葉桜の緑も映し出し、明るくて美しい♪
↑山谷堀公園
当時は山谷堀で、水源は石神井用水(音無川)で、水流は根岸から三ノ輪、吉原大門の横を通って隅田川までつながっていたようです。
荒川の氾濫を防ぐために通した堀とのことです。
↑山谷堀公園の説明
それから吉原大門へ向かって歩きます♪
途中で奥州街道と交わっていたとのことでした♪
↑当時の奥州街道の道
↑山谷堀公園周辺の地図
↑広域地図
次回は「③吉原~浄閑寺編」です♪
<今日の独り言>
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