HISを利用したツアーでインドのデリーやアグラ、ジャイプルを旅行したのですが、そのデリーにあるフマーユーン廟へ行ってきました♪
愛用している旅行ガイドブックタビトモ デリー・アグラ・ジャイプル インドにも掲載され、フマーユーン廟はインド共和国の首都デリーにある、ムガル帝国の第2代皇帝フマーユーンの墓廟で、ムガル朝時代の墓廟の中で最も古いものと記載があります♪
場所はコンノート・プレイスから車で15分のところにあり、入場料は500ルピーでビデオ持込が25ルピーとなります。
他の施設とは違って結構質素なチケット売場でチケットを購入し中に入ります♪
↑チケット売場
そしてレンガが削り取られた所を通って進みます♪
↑まっすぐ進む
白い建物があり、その先にも建物があります♪
↑白い建物
茶色の建物の上には星印が2つと〇印が1つありますが、これは星と月を表し、イスラム教のシンボルとのことです♪
↑茶色の建物
そしてその先には目指す「フマーユーン廟」がありました♪
↑フマーユーン廟
おぉぉ素晴らしい建物です♪
↑フマーユーン廟の説明
そして噴水近くからもこのフマーユーン廟を見ました♪
美しいですね♪
↑噴水近くからのフマーユーン廟
フマーユーン廟は、インドにおけるイスラム建築の精華のひとつと評され、赤砂岩と大理石を使った外壁と柔らかなアーチを描くドームを持ち、その建築スタイルはタージ・マハルにも影響を与えたといわれるようです。
メッカの方向の西側に大きな窓があり、光が差し込むようになっているとのことです。
中央の棺はフマユーンのものですが模棺で、実は遺体が入った本物は地下にあるようです♪
これはタージマハルと同じですね。
歴史を説明すると、ムガル帝国第2代皇帝フマーユーンは、1540年に大敗しそれ以降インド北部の君主の座を奪われてペルシアに亡命し流浪の生活を送ったようです。
しかしながらペルシアのサファヴィー朝の支援を受け、1555年にはアグラとデリーを奪回して北インドの再征服に成功しましたが翌1556年に事故死してしまったようです(^_^;)
フマーユーン死後の1565年、ペルシア出身のその王妃は、その亡き夫のために、デリーのヤムナー川のほとりに壮麗な墓廟を建設させ、それがフマーユーン廟とのことです♪
タージ・マハルとは逆ですね♪
そのフマーユーン廟はペルシア出身の2人の建築家親子によって9年の歳月を経て完成されたようです♪
1993年にはユネスコ世界遺産(文化遺産)に登録されたとのことです。
階段を上って霊廟に近づきます♪
↑階段
そして歩いてきた方角へ振り返ると、これまた緑に囲まれて入口が美しい♪
↑霊廟からの景色
改めてフマーユーン廟を見ても美しい、斜め45度から見ても美しいですね♪
↑近距離からのフマーユーン廟♪
↑斜め45度からのフマーユーン廟
そしてフマーユーン廟奥方面の景色も素晴らしいです♪
↑フマーユーン廟奥方面の景色
この霊廟には、実は計150人の死者が埋葬されているとのことです♪
フマーユーン、王妃ベーグム、王子ダーラー・シコー、そして重きをなしたムガル朝の宮廷人たちの遺体とのことです。
家族らしい大小のお墓もありましたね♪
↑お墓
そしてゆっくりフマーユーン廟を鑑賞した後は、入口近くに戻り、イサ・カーン廟に行きました♪
これはフマユーン廟が建てられる前の1547年にローディー王朝時代の霊廟とのことで、これおまた中央に模棺があり、囲むように回廊がもうけられているようです。
↑イサ・カーン廟への入口
↑イサ・カーン廟
フマユーン廟は、ムガル時代の素晴らしい霊廟でとてもオススメです!
<今日の独り言>
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